狭い狭い部屋

「ねえカズくん」
 僕はゆっくりと振り返り、笑顔を作る。僕のことをカズくんと呼ぶのは、彼女くらいしかない。
「どうしたの?」
「身長、また伸びちゃった」
 僕よりも4cmくらい背の高い女の子。僕が中1で155cm、朱里は小6で159cm。多分、学校の女子で1番背が高い。
「みんなに、巨人女って、いわれるの」
「朱里がかわいいから、嫉妬しているだけだよ」
 そう言いながら、僕は朱里の頭を撫でた。昔は小さかったのに、こんなに大きくなって。女子に身長をぬかされたのにもかかわらず、不思議と嫌な気持ちはしない。どちらかと言えば、彼女への愛しさの方が増していた。
「そうなの?」首をかしげて、僕を見下ろす。「でも、カズくんよりも大きくなっちゃった」
「僕は中学生だから、これから伸びるよ。来年は、朱里よりも高くなっていると思う」
「本当?」
 朱里は目を輝かせてそう言った。その瞬間、僕の心にもやがかかる。
「うん、本当」
「カズくん、一杯ご飯食べてね」
「うん!」僕は笑顔を作って、そう答えた。



 やばいやばい!
 心臓が口から飛び出そうなほどに必死で階段を駆け上がる。母に頼まれてお使いに行った、その帰りだった。
 お使いを頼まれるのは珍しいことじゃないが、問題はその日付。今日は従妹の朱里が家に来る日だった。
 朱里が僕の家に来るのは珍しくないが、問題は今の僕の部屋の状況。さっきまでPCでエッチな画像を見ていた。それをつけっぱなしにして、僕はお使いに行ってしまった。部屋に誰かが入ってくるなんてことを、考えていなかったから。
 僕は大慌てで階段を駆け上がり、部屋のドアを開ける。そこには、興味深げに僕のPCを操作する朱里の姿があった。
 終わった、さようなら僕の青春--

 脱力した調子でその場に呆然と突っ立っていたら、朱里はそんな僕に代わり映えのしない調子で接してくれる。
「あ、おかえりなさい、カズくん!」そう言ってにこっと笑う朱里。その笑顔が、僕の心にぐさりと刺さる。
「ねえねえ、これなあに?」無邪気にPCの画面を指さす朱里。
「あー、それはなー」必死に言い訳を考えるが、頭がオーバーヒートしているのもあって、本当に何も思い浮かばない。そして僕が目を泳がせているうちに、朱里はまた僕のPCをいじり始めた。
「なんか、身長高い女の人の写真が、いっぱい」
「あー、うん。そうだね」
「あっ・・・・・・」朱里がぽっと、頬を赤くした。慌てて覗き込むと、200cmくらいの女キャラが、150cmくらいの男キャラを抱きしめながら寝るというイラストだった。言うほどエロイものではないが、朱里にとっては少々刺激的だったらしい。朱里はそっと、画像を閉じてくれた。
「こ、こういうのが好きなの?」真っ赤な顔で、尋ねる朱里。僕は操り人形の糸が切れたように、こくっと頷くしかなかった。
「へ、へえ・・・・・・」朱里は恥ずかしそうにもじもじとしながら、目をあちらこちらに向ける。「お、男の子だもんね」どこで覚えて来たのかわからない定型文を口にした。
 地獄だ、空気があまりにも重かった。
「あ、そうだ!」と言って、朱里は勢いよく立ち上がる。朱里の顔が、僕の真正面に来た。
「カズくん身長伸びたね!」驚いた表情で、僕を見る。
「去年は、私の方が高かったのに」
 朱里は自分の頭上に手を置いてから、僕の方までスライドさせた。朱里の手が、僕の頭がかすった。
「同じくらいかな?」
「僕だってまだ成長期だし、今にまた、朱里よりもでかくなるさ!」
「ふふ、競争だねー」
 朱里は笑いながらそういった。去年は身長をややコンプレックスに思っていた節があったが、今はそうでもないらしい。僕は無邪気な朱里に微笑む。
 僕が中学1年生、朱里が2年生。別々の県で暮らしていた、ごく普通の従妹同士だった時のことだ。


 僕の成長期は女子の成長曲線を描き、中1で終わってしまったらしい。170cmとぎりぎり平均身長まで1年で一気に伸ばして、それからピタリと止まってしまった。
 あれから色々なことがあった。両親は海外に行き、僕は日本で一人暮らしをしている。最初は大変だったが、慣れるみると案外快適だし、こうやって友達を部屋に呼べるという楽しみもある。
 そして今、僕は部屋で朱里の到着を待っていた。小さなワンルームなので泊まることは多少厳しいだろうが、できないことはないだろう。こんな時のために、僕はダブルサイズの布団を購入していた。
 去年はそんなわけで朱里と会う機会はなく、僕らは2年ぶりの再会となる。時間が近づくにつれて、緊張が高まる。動悸がする。友達を部屋に入れたことは何度かあったが、女子を入れたことはない。従妹とは言え、恥ずかしくなってきた。
 玄関のベルが鳴り、僕は魚眼レンズを覗く。そこには・・・・・・白い何か。
「はい?」
「あ、カズくん?」朱里の声がした。
「ああ、朱里か」僕はドアを開けた。
「そうだよー、忘れちゃったの?」
「ごめんごめん、顔が見えなかったから・・・・・・」
 僕の心臓が止まった。
 ドアを開けた目の前にあったのは先ほどの白い何かで、そのはるか上に朱里のまぶしい笑顔が僕を見下ろしていた。
「あ、カズくんちっちゃーい!」
「え?」
 僕は朱里の足元を見る。ヒールのない、ただの靴。再び顔を見る。頭がドアのフレームにつきそう。・・・・・・僕の血圧が上昇する。
「それにしても、カズくんの家、小さいねー」
「まあ、確かに小さいとは思うけど」
 朱里にとっては、どんな家も小さいだろうという突っ込みを抑えた。
「じゃ、お邪魔しまーす」
 朱里は部屋に入ると、鍵をかちゃりと締めた。
「お茶とスポーツドリンクしかないけど、どっちがいい?」
「スポドリ!」元気に即答する朱里。昔ならかわいらしく思えたこの仕草も、今は威圧感しか感じない。天井ほどの高さから降り注ぐ無邪気な笑顔に、僕の脳は処理落ちする。

 僕はコップを取り出し、スポーツドリンクをペットボトルから注ぎ、朱里に差し出す。
「遠いところ、わざわざありがとう」
「うん、だって・・・・・・」朱里はちゃぶ台のコップを一気に飲み干した。
「カズくんに、会いたかったから」
 僕の顔が赤くなった。昔からこういうことを言い合う仲ではあったが、今の歳で言われると、意味合いがより変わってくる。
「ねえカズくん、今も、好きなの?」
「好きって?」
「背の高い女の人」
 僕はどきんとした。そうだ、朱里にはバレていたんだと、今思い出した。僕はゆっくりと、首を縦に振った。
「私も、身長高いよ」照れながら言う朱里。
「いくつ?」腱反射のごとく、自然と言葉が発された。
「一昨日測ったけど、192.2cmだった」
 僕は息を飲んだ。190cmなんて、ネットの中でしか見たことのない空想だったから。それが、こんなに身近にいるなんて。
「すごい」
「惚れた?」
「うん、とても」
「ふふ」
 子供っぽいいたずら好きな笑みを浮かべながら、朱里は僕に飛びついてきた。そして僕はそのまま後ろに倒れた。僕の左隣には布団があるのに、そこに倒れた。
「ぎゅっ」と言って朱里は僕を抱きしめる。「ねえ、こういうのが好きなんでしょ」僕は無言でうなずいた。
「あー、カズくん小さい」
「朱里は大きい」というと朱里はふふっと笑ってから、僕をまた少しだけ強く抱きしめた。
「こういうの、興奮する?」
「うん、すごく」
「私が、大きいから?」
「うん」恥も何もない。僕は本能に従った。
「私がもっと大きくなったら、もっと興奮する?」
「うん、絶対に」
「じゃあ私、もっと大きくなるね」
 快楽におぼれてとろけるような幸福を感じながら僕は眠りに落ちた。それはまるで、母親にあやされて安心して眠りについた赤子のごとく。

 目を覚ますと、蛍光灯が僕を照らしていた。外は薄暗い。
 僕は時計を確認する、夕方5時。朱里が来たのが12時頃だから、5時間も寝てしまったのか。そろそろ夕食を作らなくては。
 シャワールームからバシャバシャと音が聞こえる。僕ははっとした。今日は朱里が来る日だった。そして、朱里が覆いかぶさってきて、そのまま・・・・・
 がらりという音とともに、バスタオルを持った朱里が姿を現す。隠す気など、最初からないらしい。
「あ、カズくんお目覚め?」
「うん、今起きた」
「シャワー、借りちゃった。天井が頭すれすれで、ちょっと大変だった」
「あー、低いもんね。さっぱりした?」
「うん」と、微笑む朱里。気のせいかもしれないが、その笑顔はさっきよりも大人びて見える。
「あ、夕食作らないと。今日は、シチューの予定だった」
「わーい、楽しみ」
 朱里はバスタオルで体をふきながら、無邪気に喜んだ。僕はそんな彼女を見て自然と口を緩ませるのだった。



 それから1年が経った。受験生だった朱里は入学を待ちくたびれる身となった。春からは僕と同じ高校に通い、せっかくなので僕と同じ部屋に住んで生活費を減らそうということになった。
 若干の抵抗はあったが、小学生の頃は朱里とは一緒に暮らしていた時期もあったし、問題はないと思い了承した。
 ただ、この部屋は朱里には小さすぎる。1年経ってまた成長したと言っていたし、せっかくなのでもっと広い家を借りることにした。

 引っ越しまであと1週間という日のある朝、突然僕の元に1通のメールが届いた。
「カズくん、私いまそっちに向かっています」
 その文面に、僕は驚く。引っ越しまであと1週間あるというのに、どうしてこんなに早く来るのか。勘違いしているのではと、僕は返信をした。その返事は早かった。
「楽しみすぎて、来ちゃった」
 来ちゃった、とは言うものの、1週間もこの狭い部屋にいるのは苦痛であろうと。机も1つかないし、色々と困るだろう。
 それでも彼女はやってくる。僕はドキドキしながら、ドアを開けた。
「えへへ、来ちゃった」
 僕のところから彼女の顔は見えない。ドアよりも、頭一つ分ほど背が高いのだから。ドアよりも大きくなったことは予想できていたが、実際に見ると威圧感がすごい。
 若干腰を曲げながら、朱里は小さなキャリーバッグとともにその場に立っていた。
「まあ、入って」
「お邪魔しまーす」
 曲げていた腰をさらに曲げて、ドアをくぐり抜ける。
「うわ、天井低いね」ドアを抜けても、中腰のままそこにいる朱里。
「朱里が高いんだよ」
「ふふん、成長期だもん」
 実際、この家の玄関の天井は低い。といっても207cmあるのだが、それでも朱里よりは背が低い。
「身長、いくつになったの?」我慢できず、尋ねてしまう。
「へへ、カズくん、測ってよ」答えはお預けか。
 朱里はリビングに入り、背筋を伸ばして壁に背中を付ける。ちなみにリビングの天井は260cmあって、やや開放的だ。
 僕は机の上にのって、朱里の頭の位置に印をつけた。その後メジャーで測った。
 216cm。その数字にめまいがした。
「どうだった?」と、無邪気な朱里も、それを見るたび若干引きつった表情をした。
「私、こんなに大きいんだ・・・・・・」正常な反応だと思う。女子高生で216cmとは、まさに巨人女と言える。
 しかし、そんな朱里を目の前にして動悸の止まらない男がここにいる。
「あ、カズくん、興奮してるの?」
 僕は無言でこくこくと頷きながら、机から降りた。目の前には、朱里の胸がある。
「あ、お茶とスポドリどっちがいい?」と、話を逸らす。
「その前に、さ」と言いながら、僕に抱き着く朱里。胸が顔に押し付けられた。
 そのまま床に倒れて、ちょうど去年と同じような格好になる。大きい、当然だが、去年よりも大きい。
「カズくんが、また小さくなったね」
「朱里は、また大きくなった」
「成長期ですから」
「でも、手の大きさは同じくらい」朱里の手をぎゅっと握る。朱里も、握り返してくれる。
「足も小さいの」
「いくつ?」
「28cm」
「僕よりは大きいよ」
 それから朱里は僕の上に覆いかぶさった。僕は今、朱里の大きさを全身で感じている。
「ねえカズくん、こんな巨人でも、好きでいてくれる?」
 こくこくと、僕は頷いた。「よかった」と、朱里は小さくつぶやいた。
「もっと大きくなっても?」
 再度、こくこくと頷く。朱里はそんな僕を、ぎゅっと強めに抱きしめた。

 スキンシップは刺激的だが、やはり天井に頭がつかえるほどの高身長というのはさすがに色々と不便なようだ。
 まず、浴室の天井が197cmしかないから、朱里は中腰になってシャワーを浴びるしかない。
 また、リビングの長さ自体240cmしかないので、少し動けばキッチンの方に足が出てしまう。そして、キッチンの天井も207cmしかないから、立ち膝にならないと料理ができない。
 トイレに至っては、ドアを開けっぱなしにしないと脚が収まらない。これはさすがに朱里も嫌だったようで、トイレだけはできる限り、近くのコンビニまで行くことにしていた。

 新学期が始まり、朱里は新高校1年生に、僕は2年生になった。
 朱里は入学式のその日から学校中の有名人となり、僕の従妹だと知られるや、色々な形で僕の名前も有名になった。
 最初はなんとなく距離を置いていた僕らだったが、有名になりすぎたために隠す必要もなくなり、1か月も経てば登下校も一緒にするようになった。
「朱里、またでかくなったか?」月に一度くらい、僕は朱里にそう尋ねる。
「うん。なんか、また制服が小さくなった気がするし」
「早めに、買い替えような」
「うん」
 今までの成長期が若いゆえの成長期であり、今が第2成長期であったのだろうか。朱里は高校に入ってからぐんぐんと身長を伸ばしていった。
 保健室では測れないため家でメジャーを使って測るのだが、月に2cmのペースで伸ばしていった。夏休みなんて、1か月で6cmも背を伸ばした。
「大きくなりすぎかな?」時々彼女は心配そうに尋ねた。
「大きい方が、魅力的だよ」そう答えると、朱里はいつも笑ってくれた。そう言うといつでも、朱里は僕を抱いてきた。
「朱里は好きだね」
「うん、好き」
「男に抱きつくと、身長伸びるのかな」
「なにそれ。でも、そうだったら、嬉しいかも」

 その年、朱里は30cm背を伸ばして246cmになった。せっかく広めの家に移ったのに、天井に頭をつかえてしまった。
 しかし朱里の背が伸びるたびに僕らの仲はより一層強固なものとなっていった。他者を排除して余ったエネルギーを、お互いに使っているように。
「カズくん」
 布団の上で添い寝をしながら、朱里が僕の名前を呼ぶ。布団からは完全に膝から先のはみ出てしまうけれども、朱里はさほどそれを気にしていないらしい。
「なに?」
「好き」
「うん、知ってる。僕も好き」
 自明なことを確認しあうのはスキンシップであり、ただの暇つぶしに過ぎない。行為の後の脱力した空気を、僕らはこのようにして過ごすことがあった。
「ねえ、私の身長、どこまで伸びるかな?」
「身長高いの、いや?」
「まあ、大変だし」
「でも朱里はかわいいよ」
 僕より大きな顔をだらしなく緩ませて、朱里は笑う。
「そういうこと言ってくれるの、カズくんだけ。昔も今も」
「みんな、どうして朱里の良さがわからないんだろう。こんなに素敵な女の子なのに」
「うーん、身長? 廊下を歩くとよく、ビクッてされちゃう」
「みんなおかしいよ、朱里を化け物呼ばわりして」
「おかしいのはカズくんだよ。こんな私を好きなんて」
 たまに朱里はこうなってしまう。自分に自信がなくなって、自分の否定ばかりを言い出す。そんなときは、こういえばよい。
「でも、僕は朱里が好きだから」
 僕は朱里の上に乗った。僕がよほど軽いのか、朱里は表情一つ変えずに、僕をじっと見ていた。
「もう一回、しまちょう」
「うん、したい」
 僕らは再び快楽におぼれていくのだった。
-FIN