大きくなったら

 ――――バタッ
 女の子の後ろで、男の子が転んだ。女の子は小走りで男の子に近づき、しゃがみこんだ。
「だいじょうぶ? ちいくん」
 男の子は無言でコクリとうなづきながら、地面に手をつき、立ち上がった。2人は手をつなぎながら、歩き出した。女の子は男の子よりも頭1つ以上背が高く、男の子の手を握り、男の子の歩幅に合わせて歩き出した。
 男の子――千歳と女の子――トモは家が近く、幼い時からよく一緒に過ごしていた。お互い1人っ子であり、トモの方が3つ年上であるため、本当の姉弟のように仲良くしていた。千歳はそんな女の子を姉のように慕い、また恋心を抱いていた。
 しかし、トモが中学3年生になった頃、千歳が小学6年生になった頃から、千歳はトモを避けるようになった。女子と一緒にいること自体を千歳は嫌がるように、恥ずかしく思うようになった。また、トモは千歳よりもずっと背が高く、好きな人よりも背の低い自分を嫌いになった。

「ちいくん、久しぶりー」
 学校帰り、千歳とトモはばったり出会った。トモはニコニコと微笑みながら、千歳を見下ろした。千歳は口をへの時に曲げて、トモを軽く睨みつけた。
 トモは心配そうに、千歳に近寄り、腰を曲げて目線を下げた。
「ちいくん、どうかした?」
 千歳はいっそうキツく、トモを睨みつける。トモは千歳の頭を優しく撫でた。
「ちいくん、どうかしたの? 学校で嫌なことでも、あったの?」
「なんでもない!」
 千歳はトモの手を払いのける。トモはキョトンとして、千歳の表情を見ていた。千歳はまた、トモを睨みつけた。
「どうしたの? お姉ちゃんなんか悪いことした?」
「う、うるせえ!」
 湧き上がる様々な感情を上手く処理できず、千歳は思わず乱暴な口調となった。トモはそれを聞いて、またキョトンとした。千歳はそんなトモを、思いきり睨みつけた。
「い、いいか。中学に入ったら、俺のほうがでかくなるからな! そして俺がでっかくなったら、トモねえみたいに、頭撫でたり・・・・・・だ、抱きしめたり・・・・・・そんなこと、してやるんだからな!」
 トモは千歳のそんな宣言に、ニコリと柔らかく微笑んだ。
「うん、わかった。ちいくんが私より大きくなったら、私、ちいくんの彼女さんになってあげる」
 そう言ってトモは、千歳の頭を撫でた。千歳は顔を赤くし、歯を食いしばった。トモはそんな千歳に、優しく微笑みかけた。
 3月の終わり頃、桜が咲き始め、新学期が開けようとする頃の、ある『姉弟』の交わした約束であった。当時千歳は145cmと小柄な部類であり、トモは170cmと、かなりの長身であった。そんな2人が交わした約束であった。
 
 中学生になり、千歳はバスケ部に入部し、よく食べよく寝てよく運動した。全ては自分の背を伸ばすための努力であり、トモよりも長身になるため、トモの恋人としてふさわしくなるために千歳は尽力した。
 成長期も手伝い、千歳の身長がグングンと伸びていった。周囲を驚かせ、部活の仲間は期待した。
「千歳、でっかくなったよなあ」
「ああ、でもまだまだでかくなる!」
 成長を称えられる度に、千歳はそう返した。努力の甲斐あって1年で15cm伸び、2年生に進級する頃には、千歳は160cmとなっていた。背の順は後ろから数えたほうが早くなり、小学生時代には自分よりも背の高かった友人の大半を追い抜いていた。しかし、千歳は自分の身長に満足は指定なかった――
「おはよ、ちいくん。身長いくつだった?」
 新学期を迎えて1週間。千歳は2年生になっていた。運動部所属の千歳は部活動で忙しい日々を送っており、小学生の頃のように、毎週トモと会うということはなくなっていた。
「・・・・・・160cm」
 千歳は俯きながら、答えた。
「160センチ? ちいくん大きくなったね」
「と、トモねえは?」
「うーん、190センチくらい」
 トモはニコニコしながら、答えた。千歳はトモのアゴの下にすっぽりとハマリ、さらに5cm程度の余裕もある。千歳の目の前ではトモの胸があり、千歳は思わず目を逸らした。
「・・・・・・ら、来年は抜かす!」
「うん、頑張ってー」
 千歳は1人で中学校まで走っていく。トモはそんな千歳の背中を眺めた。その時のトモの身長は、192.5cmであった。

 2年生になってからも、千歳の成長は止まることを知らなかった。1年で15cmほど伸び、2年生の終わりには175cmとなっていた。バスケ部ではエース的な存在となり、背の順でも後ろから数人目となった。その長身によって、女子から好意の視線を送られることもあった。しかし、千歳は自分の身長に満足していなかった。
「おはよ、千歳くん。身長いくつになった?」
 トモは腰を曲げて、ニコニコと微笑みながら千歳に話しかける。千歳はそんなトモを、暗い表情で軽く睨みつけた。
「175。トモねえは?」
「私は200センチくらい!」
 トモは胸を張って、そう言った。千歳はトモを、大きく見上げた。千歳はトモの胸よりも10cmほど小さくなり、千歳の目の前にはトモの鎖骨ではなく、鳩尾が広がっている。これが、25cm差なのか、去年の30cm差よりも、差がずっと広まってしまった。トモの身長は200cmよりも、もっともっと高い、千歳はすぐにそれに気がついた。そして千歳は絶望した。
「・・・・・・ねえ千歳くん、今、時間ある?」
「えっ? だ、大丈夫」
「よかった。じゃあ、久しぶりに一緒にお散歩しない?」
「・・・・・・いいよ」
 急なトモの誘いに、千歳は多少戸惑いながら受け入れる。2人歩いて、土手を目指した。徒歩10分くらいのところにある土手で、かつてはよく通った、2人の遊び場だった。そこに向かうまで、2人は手持ち無沙汰となり、雑談をした。
「トモねえって、部活とかは」
「私は何もやってないよ。そういうの、あまり好きじゃないし」
「そうなんだ・・・・・・」
「・・・・・・ねえ、昔さ、千歳くんが私の身長を抜かしたら、私が千歳くんの彼女になるって約束したの、覚えてる?」
 千歳はそれに、ドキリとした。その約束を今の今まで、忘れたことはなかった。しかし、肝心のトモは、そんな約束をとうの昔に忘れているのではと、千歳は思っていた。
「・・・・・・うん、覚えてる」
「ほんと! 私の身長、抜かせそう?」
 トモはニコニコしながら、千歳を見下ろして、尋ねる。千歳はトモを見上げた。そして、ため息をついた。
「・・・・・・多分、ムリ」
「そっかあ、あはは・・・・・・じゃあ、私の勝ちかな」
「か、勝ちってなんだよ!」
「だって、千歳くん私の身長抜かせないんでしょ。千歳くんの負け、私の勝ち」
 千歳はトモにそう言われ、悔しくて仕方がなかった。トモよりも大きくなろうと、バスケをやり、よく食べよく寝てよく運動した。毎年15cm伸びて、中学2年生にしてはかなりの長身となった。しかし、トモには勝てない。千歳はこれを、理不尽に感じた。
「・・・・・・つーか、トモねえがでかすぎるんだよ! なんだよ200って!」
「あー! デカイって言い方、ちょっと嫌だなー」
 トモは頬を膨らまして、千歳を見下ろす。姉のように慕っていたトモの子供っぽい仕草に、千歳はうろたえた。気まずい沈黙が2人の間に流れ、それは土手につくまで続いた。
 土手に着いたら、トモはハンカチを尻の下に引いて、草の上に座り込んだ。千歳も、トモの隣に座った。
「あー、懐かしいね、この風景。昔はけっこう、一緒に来たよね」
「・・・・・・うん、そうだね」
 再び、2人の間に沈黙が流れた。心地よい春の風が頬をくすぐり、川の流れるザアザアという音が、辺りに響いていた。
「・・・・・・ねえ、千歳くん」
「・・・・・・なに?」
「せっかく私が勝ったんだから、私のお願い、聞いてくれない?」
「・・・・・・いいよ」
 これまでトモに応えるべく奮闘してきた千歳にとって、トモの方から何かをお願いされるということは、全く予想だにしていないことであった。千歳はトモの声に、注目する。
「・・・・・・私と、付き合ってください」
「・・・・・・え?」
「・・・・・・もー! 恥ずかしいから何回も言わせないでよ!」
 トモは横にいる千歳に抱きついた。トモの方が背が高いため、千歳を包み込むような格好となり、トモに包まれた千歳は顔から火花を散らした。
「ご、ごめん、なんか急で、つい・・・・・・」
「もー、ちいくんたら・・・・・・で、どう? やっぱり、こんなにデカイ女は嫌?」
「そ、そんなこと・・・・・・よ、よろしくお願いします」
「・・・・・・うん、ありがと」
 時は過ぎ、日は暮れて、夕日が2人を照らし始める。2人は一緒に帰路についた。来る時とは違う、ほのぼのとした暖かい空気が流れていた。
「ねえ、トモねえ」
「うん?」
「トモねえって、本当は身長いくつあるの?」
「あー、確か221.1cmだったよ」
「デカッ!」
「ちょ、ちょっとやめてよー。けっこう傷つくんだよー」
「あ、ごめん」
「でも、こんなにデカイ女と付き合ってくれて、ありがと。千歳くん」
 夕日が辺りを真っ赤に染めていた。夕日に照らされた若いカップルは、仲良く帰路についた。2人の影は重なり1つとなって、カップルの後ろに長く長く伸びていた。
-FIN

創作メモ

この作品は,深冬ふみ氏の漫画「大きくなったら結婚する!」に触発されて描きました.独自設定を含みます.-->LINK(Pixiv)