中途半端

 目の前に準備された身長計と体重計を見て、私は憂鬱な気分で自分の番が来るのを待っていた。
「――――さん」
「はい!」
 隣に座っていた女の子は、名前を呼ばれると同時に元気よく返事をし、支柱に背中をくっつける。そして1ミリでも背を高く見せようと、息を大きく吸って背筋をピンと伸ばした。・・・・・・大きくなってもいいことないのにと、私は心のなかで呟きながら、身長の測定を終えて体重計に乗り、液晶に移る数字を凝視する彼女をぼんやりと見ていた。ああ、やだなあ、身体測定。私はハァと、小さくため息をついた。
「次、村田綾子さん、どうぞ」
 重い腰を持ち上げ、無駄にデカイ上履きを脱いでから身長計の上に乗り、私は静かに目を閉じる。身長を知った時の皆の表情を見たくなかった。入学直後からありとあらゆる人から受けた質問を、私は今まで適当にスルーしてきたけれど、そのしわ寄せがこんなところで出てくるなんて。今の身長を知らないのは本当だけど、適当に165cmとか言っておけば良かったなと、今になって後悔している。そんなことをしているから、さっきからクラス中の皆が皆、私の方をじーっと見てくるのだろう。中には何センチだろうと予想を立てるクラスメートもいた。クラスの純粋な好奇心が、私の胸を締め付けていくのを感じた。
「170.3センチ」
 担当の先生が数字を言うと同時に、私の顔が熱くなった。まさかとは思っていたけれど、170cmを超えてしまっていたなんて・・・・・・。クラスの皆もなんかざわついているし、目をつむっているからわからないけれど、なんだか妙に熱い視線を向けられている気がして、私の顔が更に熱くなっていくのを感じた――――

 ただ身長が高いだけなのに・・・・・・。スポーツが得意なわけでも、頭が良いわけでも、家がお金持ちなわけでも、特別大人びているわけでも・・・・・・まあ、電車に乗るときに、小学生と信じてもらえないことはよくあったけれど。とにかく、私はただ、身長が高いだけなのに。ただそれだけなのに、なぜかスゴイ人のように見られてしまう。実力以上に人から評価されてしまう。そんな自分の身長が、私は嫌いだ。おまけに、周りにそういう風に見られてしまうから、中には私に嫉妬してくる人もいて、あらゆるところで悪口を言われて、面倒くさい。本当に面倒くさい。男子にはからかわれるし、先輩には目をつけられるし、女子にはデカすぎるとモテないとか勝手な心配されるし・・・・・・もう、イヤ。別に好きでデカくなったわけじゃないのに・・・・・・。
 背が高いってだけで、こんなにたくさんの不自由を抱える羽目になる。正直、小学4年生くらいまでは、自分の長身に誇りを持っていた。平均身長が133cmなのに対して、当時の私はすでに153cm。2番目に背の高い子でも140cmくらいで、文字通り、飛び抜けて大きかった。運動会ではどこにいても見つけられると、お母さんが言っていた。一番後ろでも、何の問題もなく前の方が見えた。後ろの小さい上級生から、前が見えないと言われることもあった。そんな時でも私は、上級生よりもずっと大きい自分を誇りに思っていた。もしかしたら、そんな性悪だからバチが当たったのかもしれない。私の成長はその後も止まることなく、中学1年生にして170cmを突破してしまったのだから――――

 伸びてしまったものは仕方がない。縮みたいと願ったところで、実際に縮むわけはない。縮む方法があったら、こんなことで悩んでいない。だから私は、これ以上成長しないよう努力することに決めた。運動部の誘いを全力で拒否してホームメイド部に入った。睡眠時間を削り、食べる量を減らそうと努力した。しかしそれでも、眠いものは眠いし、お腹は空く。そんな時は自分に甘えて、たくさん眠り、たくさん食べた・・・・・・
 中途半端な努力を続けて3ヶ月、夏休みまでもう少しという時期に、私は友達から恐ろしい告白を受けることになる。
「――ねえ、アヤちゃん身長伸びたよね?」
 私は背筋が凍りつくのを感じた。友達もその空気を感じたようで、その後すぐに、小さな声で謝ってくれた。正直、自分でも分かっていた。日に日に小さくなっていく制服、近づいていく身長175cmの兄の背丈、小さくなっていくクラスメートや先輩の背中。気が付いてはいたけれど、感情がそれを認めなかった。でも友達に指摘されて、そんなヒビだらけの守りの石垣はガラガラと音を立てて崩壊してしまった――
 その後は重くなった空気を払うべく友達と一緒に校内をぶらつき、気がつけば保健室の前まで来ていて、その場のノリで、保健室で身長を測った。175.4cm、数字を聞いた瞬間、私は目眩がした。3ヶ月で5cmも伸びてしまった。小学生時代に1年かけて伸びていた5cmという長さを、私はたったの3ヶ月で伸ばしてしまった――――

 伸びてしまったものは仕方がない。これ以上伸びないよう努めるしかない。自分にそう言い聞かせ、クラスメートから言われる励まし賞賛という名の罵詈雑言をオトナとして受け流しながら、夏休みまでの時間を過ごした。今年の夏休みは、お母さんの実家で過ごす予定になっている。3才年下の、小4の従姉妹と初めて会うというので、どんな子なのか今から楽しみだ。噂では、すごく背の高い女の子だと聞いている。どれくらいなのだろう、私と同じくらいだったりするのだろうか。今から気になって仕方がない。
 夏休み前最後の登校日。終業式に背の順で並び、列から飛び抜ける私をニヤニヤしながら見てくる上級生、他のクラスの生徒を私は全力で無視する。なんとなく皆がこの数週間でさらに小さくなった気がするけれど、気にし過ぎだと自分に無理やり言い聞かせて、辛い終業式を耐えぬいた。

***

 喉元すぎれば暑さを忘れるーーーーそんなコトワザを聞いたことがある。どんなに辛いことでも、乗り越えてしまえば忘れてしまうという意味だった気がする。
 人生っていうものはそういうものなのかもしれないと私は思う。悩みというものは未熟だから抱くものであって、一度乗り越えてオトナになってしまえば、もう抱かなくなるのではと、私は思う。
 私は夏休みを通して、『成長』することができた。夏休み前は、こんな日が来るなんて夢にも思っていなかった。今から思えば、随分と『ちっぽけ』な悩み事に翻弄されていたのだ。1ヶ月前の自分が妙に『可愛らしく』思えてくる。ああ、オコチャマだったなあ、って――――
 新品の制服に身を包み、玄関のドアをくぐってから、私は空に向かって背伸びをする。ああ、こんなことが自分の部屋でできた1ヶ月前が懐かしい。あーだこーだ悩んでいたものの、ただ被害妄想だけで語っていたあの頃が――
 道を歩けば誰もが私を見て、ぎょっとする。少し傷つくけれど、仕方のないことだと思う。1ヶ月前の私が今の私を見たら、きっと同じ反応をすることだろう。そう思うと、失敬にも舐めるようにレディの体を見てくる人に対して、優しくなることができた。
 学校に向かう途中、クラスの友達を見かけた。人目を避けようと、朝早い、しかし運動部の人よりは遅いくらいの時間に家を出たのだけれど、この子はいつもこんな時間に登校しているんだろうか。150cmくらいの平均的な身長の女の子。私の前では、胸くらいの位置に頭のてっぺんがくるくらいの、小さな女の子。そんな彼女の肩を、私は優しくトントンと叩いた。手首くらいの高さに肩があって、叩きやすかった。
 彼女はそのまま後ろを振り返り、私のお腹を見ると恐る恐る、目をまん丸に見開きながらゆっくりを首を持ち上げて、私の顔を見る。そして左手を口元に添え、丸くなった目をさらに見開きながら、口を開いた。
「え・・・・・・アヤちゃん・・・・・・え?」
 私達はしばらく、その場でお互いの顔を見つめ合っていた――
 
 興奮した友達と一緒に保健室に向かい、上限210cmの身長計よりもさらに2cmほど大きいという事実が発覚し、さらに興奮した彼女はどこかから巻き尺を持ってきて、教室の壁で私の身長を正確に測定しはじめた。教室のドアは190cmらしく、家のものよりもさらにひとまわり小さい。ドア枠は私のアゴくらいの高さにあって、教室の中を覗くには中腰になるか、背伸びして上の窓から覗くかする必要があった。
「すごーい! 世界一じゃない?」
「うーん、そうかも」
「だよねー。あー、そう言えば従姉妹が身長高いって言ってたけど、どれくらいだったの?」
「あー。小4で170cmだって。すごい大きいと思うけど、夏休みの間は、どんどん小さくなるなって、思ってた」
「でしょー! だって1日に1センチくらい伸びてたんでしょ」
「うん、そうだと思う。自分でもびっくり、成長痛はあったけどそこまで酷くなくて、ぐんぐん伸びてったもん」
「すごいねー。最初見た時、もうなんかよく分からなかったもん!」

 他の生徒も登校し、教室で私が視界に入ると1人の例外もなく、私のことを凝視する。そして、身長について尋ねてくるか、あまり話さない子だと、私のことを怪訝な表情で見ながら席につくかだった。
 始業式では、周りの皆よりも頭1つ以上飛び出ていた。次に背の高い男子の先輩でも、肩くらいの背丈だった。校長先生が話している間も私は皆の注目の的で、余所見する生徒を先生たちはそんな生徒を注意するけれど、その先生たちも、私が気になって仕方がないようだった。
 1ヶ月前の私だったら、こんな飛び抜けた長身が嫌で仕方がなくって、学校に来られなかったかも知れない。でも、今は違う。舐めるようにじろじろと見られても、私は背筋をすっと伸ばして前を見つめる。長身はコンプレックスじゃない、かけがえのない、私の個性。これがなかったら私じゃない。今、私は心の底からそう思うことができる。
「プッ、でっけー」
「おいやめろよ、かわいそうだろ!」
 馬鹿な男子の先輩が私を指さしてそう言った。私は彼らを静かに見つめ、優しく微笑みかけた。2人は小さく会釈をしてから、私をからかうのをやめて、前を向いた。そんな2人の背中に、私はもう一度、優しく微笑みかけた。
-FIN