好意のチカラ

 やっと帰ってきた、1年ぶりの我が家、僕の実家。妹のサヤを残して去年の4月に旅立ち、1年が過ぎた。サヤはどうなったのか、どうしているのか、それだけが僕の脳内を占領していた。見慣れた街並みを見ながら早歩きで実家を目指す。消えた建物、新しい建物が数個あることに気がつく。1年でこれだけ変わったのかと感傷にひたるのもつかの間、実家を目にした途端にそれまでの感動は吹き飛び、そこに足を踏み入れることを想像しては体を熱くさせた。
 ・・・・・・ついに、帰ってきたのだ。この時を何度夢見たことか。僕は震える足を動かして前進し、『宮本』と書かれた表札を確認してインターホンを鳴らした。数秒後、ドタドタという足音がして僕は鼓動を速めた。
「お兄ちゃん?」
 サヤの声が聞こえた。ドアの上部、ドア枠の下、地面から190cmくらいの位置から音を発しているようだった。205cmくらいかと、僕は思った。・・・・・・非常に自然なことであることはわかっているが、普通以上を求める自分がいた。
「ただいま、帰ってきたよ」
「久しぶり―! お部屋で待ってるから、絶対来てね!」
 そう言ってサヤは再び階段を上がっていった。不思議なことをするなと思った。僕はドアを開けて、ゆっくりと階段を上る。1年ぶりの我が家、懐かしさは感じるが、街並みに感じた以上のものは案外感じないものらしい。サヤの家に行く前に自分の部屋に寄った。置いていったことを惜しんでいた本を何冊かカバンにいれ、しばらく呆然として部屋を見渡した。
 ・・・・・・我慢できない、僕はそう思うと同時に立ち上がった。去年と同じサヤが向こうにいると思うと、居ても立ってもいられなくなった。200cm超の美少女、世界広しといってもこれほどまでに魅力的な長身女性はサヤを除いて他にいないと思う。僕はサヤの部屋のドアをノックした。
「入っていいよ!」
 僕はゆっくりとドアを開けた。サヤは床で正座して、ニコニコとこちらを見上げていた。肩よりも低い位置にサヤの頭があった。僕は下半身を熱くした、普通じゃない状況であった。パジャマは小さく、袖が短くなっていた。それが去年のパジャマであることに気が付き、僕は汗が吹き出てくるのを感じた。
 サヤはニコニコしながら立ち上がる、ぐぐぐぐっと、頭が上昇していく・・・・・・大きかった、天井にぶつかる前に上昇は終わったものの、去年よりは明らかに大きくなっていた。股間が圧迫されるのを感じた。さっきまで、そんなに成長していないだろうと高をくくっていたからこその衝撃だった。
「サヤ・・・・・・身長、伸びたのか?」
「うん、何センチだと思う?」
「・・・・・・わからない。去年よりは、高い」
 サヤはふふっと笑いながら、ドアの前に立った。顎の位置にドアの枠がきていた。つまり去年の身長は、今のサヤの顎ということになる。推定、20cm。
「220cm?」
「うん、近い! 昨日メジャーで家で測ったら、221.3cmだったの。去年は202.6cmだったから、19.7cm伸びたの! もう少しで20cmだった!」
 僕はめまいがしそうになった。一昨年は186.3cmであったから、16.3cm伸ばしていたらしい。高校生に入ってからさらに伸ばすことになるとは、誰が予想し得ようか。
「お兄ちゃん、玄関で私の声聞いた時、ちょっとがっかりしたでしょ。去年から成長してないなって」
「あー・・・・・・」
 ふいに図星を突かれて、僕は何も言えずにただコクリと頷いた。
「あれね、ちょっとしゃがんで返事してみたんだよ。あと、私がお兄ちゃんのメールに内緒って返事して、辛かったでしょ」
 僕はまた、コクリと頷いた。それしかできなかった、兄としてのプライドとかはとっくに捨てていた。僕は半分、夢の世界に旅立っていた。
「全部、今日のための準備だったの!」
 そう言うとサヤは僕を持ち上げたまま、布団の上に寝転んだ。2つの布団を縫い合わせて作ったかのような、そんな特大サイズの敷き布団の上に、僕らは一緒に寝転んだ。さっき、サヤが正座していた時には、直立していた時には感じなかった巨大さをいま僕は全身で感じている。
「ねえお兄ちゃん、知ってる?」
「ん?」
「・・・・・・お兄ちゃんと私、血がつながってないんだって」
「・・・・・・そう」
 曖昧になった脳で僕はサヤの衝撃的な発言を聞いた。それが衝撃的であることは理解できたが、今はそれ以上は何も感じなかった。唯一、僕は心の奥底で密かな開放感だけを感じた。なんとなく、前々から気がついていたことだった。
 サヤはどこから取り出したのか、半透明のゴム袋を手にしている。ああ、こんなことも知るようになったのか、とても自然なことだ。僕はサヤに言われる前にベルトに手をかけ、着々と準備を進めるのだった――

 腹違いか種違いか、全くの赤の他人なのかは知らないが、幼少の頃から一緒に過ごしてきた妹とこんなことをする日が来るなんて思いもしなかった。サヤ、紗也、口にするたびに甘美で不吉な響きを覚えていた彼女の名前も、今では何の抵抗もなく発することができる。
「・・・・・・紗也」
「うん?」
「さっき言っていたことは、本当?」
「うん! 受験の時にお母さんと色々話してたら、なんか聞いちゃった」
 紗也はなんとも思っていないようだった。僕も同じだった、何かが違うという事に、お互い薄々気がついていたらしい。それに、他人だからこそできることもあるのだから。
「あ、そうだ! ねえお兄ちゃん、ちょっと旅行しない? 学校の先輩に誘われてるんだけど」
「行きたいけど、それって僕も一緒に行っていいの?」
「うん、大丈夫だと思う。先輩のお兄さんが連れて行ってくれるんだし。ちょっと遠い、田舎町なんだけど」
「いつまで?」
「明後日から5日くらいだって・・・・・・ふふ、なんか、新婚旅行みたい」
 新婚旅行・・・・・・家族旅行すら行ったことのない僕らが、旅行をするというのはなんとなく不思議な気持ちだ。
「・・・・・・楽しみ」
「うん、楽しみだね」
 そう言いながら紗也は仰向けからうつ伏せへと体制を変えて、僕の方を向いた。2回目の始まりらしい――

**

「宮本淳(あつし)と申します、今回はお世話になります」
「紗也ちゃんのお兄さんの、淳くんか。初めまして、綾子の兄の、昇(のぼる)です」
 僕は昇さんと握手を交わす。大きくゴツい手が僕の手を包み込んだ。220cm超の女の子と普段接してはいるものの、190cmの巨漢を目の前にするのは初めてのことだ。手の大きさは、紗也とあまり変わらないようだが、とにかくゴツかった。
「お兄ちゃん、こっちが手芸部の綾子先輩!」
 紗也は綾子さんに後ろから抱きつきながら紹介する。綾子さんは怪訝な表情で小さく会釈した。紗也の話では、綾子さんは紗也よりも少しだけ背の高い女性らしかった。僕はそれを楽しみにしていたのだが、実際の綾子さんは、紗也よりも数センチ低いようだった。さっきまでの2人のやり取りを思い出せば、綾子さんもそれに驚き、サヤの方はそれを楽しんでいるようだったし、そのための先の抱擁であった。
「はじめまして、紗也の兄の淳と申します。お気づきかもしれませんが、紗也とは血縁関係はありません」
「あ、そうなんですね」
 昇さんも、それを聞いて色々と納得したようだった。今の僕と紗也はまるで、近所の子どもとお姉さんのようなそれだった。見た目もさながら、僕らの間に漂う雰囲気も、そんな感じなんだと思う。
「それじゃあ、行きましょうか!」
 昇さんが号令をかけて、僕らは大きなボックスカーに乗り込む。僕は助手席に、女性2人は後ろに座った。エンジンがかかり、車が動き出す。後ろの手芸部はすぐさまおしゃべりを始めた。昇さんは運転に集中しており、僕はぼんやりと外を眺めている他なかった。
 見慣れた景色が知らない風景に変わり、やがて人工物と自然が同じくらいの比率になって現れてくる。遠いところに来たと思った。気がつけば紗也は夢の世界に旅立ち、綾子さんはその隣で読書をしている。昇さんは、黙々と運転をしている。不気味なほどに静かな車内だった。
「・・・・・・そういえば、従姉妹さんのところに、こんな大人数で行ってしまっても大丈夫なんでしょうか? もう、今更ですが」
「まあ、大丈夫でしょう。リオちゃんとこ、八尺(やたけ)家っていう地元じゃかなりでかい家なんです。ハチにシャクと書いて、ヤタケです」
「シャク。尺貫法の、尺ですか?」
「そうですそうです、ハハッ! 八尺だと尺貫法でおよそ242.4cmになりますね」
 昇さんは笑いながら、真っ直ぐ前を見て運転する。ルームミラーを覗くと、綾子さんも本を読みながら小さく笑っていた。
「まあ、続きは着いてからのお楽しみとしましょう」
「は、はあ・・・・・・」
 僕は訳がわからず、ただ相槌を打つことしかできなかった。

 窓ガラスの外に目を向ければ、緑に囲まれて穏やかな空気が漂う。どんな旅行になるのか、息抜きがてらと適当に参加した旅行だったが、今になって少年のようにわくわくしてきた。これから5日間、僕はできれば三大欲求を抜きにして純粋にこの旅行を楽しみたいと思った。
-FIN