とある兄妹の日常
兄離れとは悲しいことであるけれども成長のためには必要な過程だと、僕は最近まで思っていた。ブラザーコンプレクスなんてものは漫画の中の話だと思っていた。
事実は小説よりも奇なり、と。まさかあんなことになるなんて、予想だにしていなかった。
去年の7月頃、当時中学1年生の妹はすでに身長220cmの巨人だった。バレー部だった妹はネットよりも背が高くなり、エースとして活躍していた。
しかし、飛び抜けて巨大な妹はスポーツの場において周りから疎んじられるようになった。成長痛で膝を痛めていたこともあって夏休みに入る前にバレー部を自主的に退部してしまった。
その代わりに、妹が自分の長身を活かそうをして始めたのがフードファイトだった。ファイターが命がけで食べるようなギガ盛りをおかわりする妹の食欲は見ているだけで引き込まれ、今では地元では有名なアマチュアフードファイターとなった。
そして、その過剰に摂取した膨大な栄養素は、妹を縦方向に益々巨大化させるのだった――
*
――ピシャーン
「キャー!」
雷が落ちると同時に、隣の部屋から叫び声が聞こえる。・・・・・・この後の妹の行動を予想してみせよう。僕の部屋に来て一緒に寝ろという。兄離れ、反抗期、そんなワードは我が家には無縁だ。
――ミシ・・・・・・ミシ・・・・・・
床材の軋む音、妹の足音が聞こえてくる。そろそろ引越し時かもしれないと思いながら、僕はノック音を待ち構えた。
――コンコン
「・・・・・・お、お兄ちゃん」
「今行く、待ってろ」
「うん、ありがとう・・・・・・」
ゆっくりとドアが閉められ、ミシミシと音を立てながら隣の部屋に入った。今年もこの季節がやってきた、もはや雷雨の時期の風物詩ともなった妹への添い寝。僕は作業を適当に切り上げて、部屋に向かう。たらたらしていると、機嫌を損ねてしまう。
ノックして部屋に入ると妹はすでに横になっていた。敷き布団、掛け布団ともに2つを使って寝ている。僕は自室から持ってきた布団を妹の横に敷き、横になる。10頭身ある妹は遠目に見れば電柱のようだが、近くで見ると巨木のようだ。寝ていても同じだ、僕の目の前には妹の巨大な顔と肩がある。自分が小人なんじゃないかという気分に自ずとなっていく。
「お兄ちゃんが、去年よりも小さい」
「お前も、去年よりでかい。2倍くらいでかくなったか?」
「そ、そんなわけないじゃん!」
叫びながら妹は僕の顔に手を添える。巨大な手が、僕の顔を半分包みこむ。去年まではこんなことをされるたびに男としてのプライドから暴言を吐いたものだが、ここまで差が開いてしまうとそんな気も起きなくなるらしい。
「制服は、まだ大丈夫か?」
「うん。袖がちょっときてるけど、まだ大丈夫かなって。パジャマは、もうこのままでいいや」
パジャマの袖は手首から20cmほど短くなっている。金を惜しんで巨漢向けのシャツを着て、丈の足りない部分を腹巻で補ってパジャマにしているのだから仕方がない。
「靴は、大丈夫か?」
「今38cmだけど、もう少しできつくなるかなって感じ」
38cm、妹の身長を考えれば案外小さい方なのかもしれない。しかしその絶対値は、おおよそ僕の膝の高さに相当するのだ。始めてその光景を目にした時の衝撃といったら・・・・・・
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
妹はリモコンで電気を消した。去年までならだらだらと雑談をしていたものだが、今日はお疲れらしい。僕は妹の大きな頭を、それには触れずに撫でた。
*
もぞもぞと低い音が僕の背後で鳴り響く。嫌な予感がした、しかし睡魔が勝ってしまう。
――ズズズズ
――メリメリメリ
体が悲鳴をあげる、防衛本能が逃げよと命令したが、物理的な障害がそれを妨げた。ロードローラーが僕を下敷きにして発進しだした――
「ねーお兄ちゃんごめんってー。わざとじゃないから・・・・・・」
「いや、もうお前とは寝たくない。中学生だろうが」
今日、僕の朝は背骨の軋みとともに始まった。妹が寝返りと打つと、ちょうどそこに僕がいた。体重が僕の2.5倍ほどある巨体に、危うく圧死しそうになったわけだ。
「ねーねー、ちゃんと気をつけるからさー。もー、待ってよ―」
慎重に玄関から脱出する妹を、僕は少し離れた所で見ていた。しゃがみながらドアを通過し、立ち上がる。障害だったドア枠が胸のあたりにある。僕の目の前には妹の手首がある。並んで歩いていて、何度無意識に殴られたことか。
「お前、今何センチあるんだ?」
「えーと、260cmくらいかな?」
「まだ伸びてるんだろ?」
「うん! 伸びてるよ!」
妹は胸を張って答える。体がどれだけでかくなっても、こういうところは昔と同じらしい。僕はこの前の測定で160cmになっていて喜んでいたが、妹との差はついに1メートルになってしまった。
天井を突破してもなお成長を続ける常識はずれな巨体を前にして様々な感情がこみ上げてくる。恐れとか、憐れみとかいったもの以外に、妹と同じようにこの状況を楽しんでいる自分がいる。
「お前、今日も競技だっけ?」
「あ、そうそう! いっぱい食べて、食費浮かすからね!」
「いつも思うけど、よく食うよなー。胃袋破裂しそうなくらい」
「えへ、成長期かな? ・・・・・・ねえ、あのね」
「ん?」
妹はしゃがみこんで僕に耳打ちした。
「お兄ちゃんだから言うけどね、本当はあんまり食べてないの」
「ん? どういうことだ?」
「だから・・・・・・腹八分目って、感じなの。本気出すと、引かれるかなって」
「・・・・・・」
事実は小説よりも奇なり。常に自分の想像を越えていく妹はいつ見ても飽きない。
-FIN