願い事
巷に溢れる『巨人』という単語が私は大嫌いです――
初めまして、私は立花有栖と言います。勉強は普通に嫌いだし、運動神経も格段良いわけじゃない。おそらく私の中身はどこにでもいる普通の女子高生です。私にこれといった取り柄なんてありませんし、今後もできることはないと思います。
そんな私の、唯一の長所・・・・・・個人的には短所だと思っているのですが、たぶん世間一般では長所と捉えられる、私の特徴があります。私は身長がとても高いんです・・・・・・と言って、皆さんは何cmの女の子を想像しましたか? 165cm? 175cm? はたまた180cmとかですか? ・・・・・・驚かないでください、なんとわたくし、202cmあるんです! 私よりも背の高い人なんて男性でも滅多に見たことがありません。女性なんて皆無です。どこに行っても目立ってしまいますし、クラスの子とおしゃべりをする時、身長のことを話すとどうしても共感してもらえないし・・・・・・皆さんはご存知ですか? 電車のドアが185cmしかないことを。普通に通ると顔をぶつけてしまうので、腰を曲げる必要があります。ドアもそうです、学校のドアも、家の玄関のドアも、部屋のドアも。ドアの高さは200cmしかないのでぼーっとしていると頭をぶつけてしまうんです。制服はサイズがないので特注しなくちゃいけませんし、通学用のカバンは小さくてまるでハンドバックみたいって言われますし。それに・・・・・・お弁当箱は大きいのを使うので、友達からお節料理って言われちゃうくらい大きいのを使うので、そのためだけに手提げを持ち歩きますし。体操服も特注で巨大なので、普段私は大きなカバンを3つ持ち歩いています。私にとっては普通のことなのですが、女の子の間では滑稽に見えるらしく、そのせいで色々と嫌なことをヒソヒソ話されたことがあります。
・・・・・・と、そんな大きすぎる私ですが、私には小さい頃から密かに憧れていることがあります。私は昔から背が高かったので、背の順はいつも1番後ろでした。また座席の位置も、教室の1番後ろでした。・・・・・・1度でいいから、背の順で前に立ってみたい、教室で前側に行きたいと思っています。くだらないと思われるかもしれませんが、私にとっては昔から抱いてきた切実な願い事です。小さい子の気分を味わってみたいんです。前から見る景色を見て見たいんです。もっとも、そんなことは叶うはずもなく、もう少しで学生生活も終わってしまうのでしょうけれど・・・・・・
あー、せめて卒業前に1回くらい、背の順が入れ替わるなんてこと起きないかしらと、非現実的なことを考えながら私は部屋の中から夜空を見上げます。今日は星がきれいです、月が明るく輝いています。昔から大きかった私、巨人なんてあだ名をつけられた私。男の子からは女子の癖にデカくて生意気だと言われて、女の子からは表向きには背が高くていいなと言われて、裏では巨人はモテないと言われて・・・・・・はあ、一瞬だけでいいから、クラスで1番小さくなってみたかったなあ。
あ、流れ星! 夜空がきらっと輝きました。思わず心の中で願い事を唱えます。クラスの背の順を逆にしてください! クラスの背の順を逆にしてください! クラスの背の順を・・・・・・あ、消えちゃいました。こんな短時間に3回唱えるなんて難しすぎます。あー、それにしても咄嗟に思いついた願い事がこんなことなんて、もっと他に願うことがあったんじゃないかって、後悔してしまいます。例えば、明日の古文の単語テストとか。あーあ、勉強しなきゃなあ・・・・・・もしも明日クラスの身長が逆転していたら、私が1番小さくなっていたら、なんてことを試験前に考えてしまう私はもうどうしようもないのかもしれませんね。さて、ダメな私なりに、せめて勉強は人並みにできるよう今から頑張りたいと思います――
・・・・・・チュンチュン、チュンチュン。小鳥の声が聞こえてきました。朝日が眩しいです・・・・・・はっ! ここは布団の上、今は何時・・・・・・朝7時、寝坊はしていないけれど、結局昨日は勉強ができなかったみたいです。はあ、いつもこうなんです、私は睡魔に勝つことができません。昔友達に、いつも寝ているよね、なんて言われたことを思い出します。そうなんです、人よりもたっぷり睡眠を取ったから私はこんなに巨大化してしまったんです。はあ・・・・・・朝からこんなことを考えるのはやめましょう。私は重たい体を起こして洗面所に向かいます。ああ、いつもながら小さな洗面所。腰が痛くなるのでさらに憂鬱な気持ちになりました。
「おはよう」
「おはよう」
母と短い朝のやりとりを済まして、朝ごはんを食べます。私にとっては普通の量、でもお母さんの倍はある量をぺろっと平らげてから、私は部屋に戻って教科書を準備して、学校に向かいます。はあ、憂鬱な1日の始まりです。学校に行ったらまた、巨人が来たなんて言われるのでしょうか。200cm以上ある生徒なんて私しかいません、クラスで私の次に背の高い男子は185cmしかないみたいですし、女子に至っては173cmしかありません。185cmなんて私の小学生の時の身長ですし、168cmに至っては、4年生くらいでしょうか? そんな少女時代の私の身長ですら、世間でいう『高身長』であるというのはわかっています。わかっていますけど、こんなに小さな周りが、大きな自分が嫌になります。
そんなことを考えていたら、ふと、昨夜のことを思い出しました。昨夜、私は流れ星に向かって背の順を逆にして欲しいと願ったのでした・・・・・・今思えば、ずいぶんおかしな願い事です。デカいのが嫌だったら、背が縮むことを願えばよかったのにと、一晩経ってからその愚かしさに気がつきました。はあ、背の順が逆転・・・・・・もしも教室に入ったら、私が1番小さな女の子になっていた、なんてことが起こったらどんなに良いでしょう。まあ、実際はそんなことはないんですけど。
「おはよう、有栖!」
クラスメートの恵に声をかけられて、はっとしました。いけない、朝からこんな陰鬱になっていちゃだめだ。私は心の中で自分の顔を何度かパシャパシャと叩いてから、私の胸までしかない小さな恵に向かって笑顔を作りました。
「おはようめぐみ・・・・・・」
そこにあるのは彼女の腰、その腰を上に伝っていって、私のはるか上方にある恵の顔を見上げます。人のことを見上げるのなんて、いつぶりでしょうか? いえいえ、そんなことを言っている場合ではありません。私よりずっと小さかった、女の子の平均身長くらいの恵が今は私よりもずっと大きくなっているのです。かつては私の胸に彼女の頭があったのに、今は彼女の胸に私の頭があるのです。呆然とする私を見下ろして恵は首を傾げます。
「有栖、どうしたの?」
「え? あ・・・・・・ううん、なんでもないよ」
私のはるか上空で首を傾げる恵から見えないように、私は俯きがちになって口元を手で押さえます。笑いが止まらないのです。周りを見回してみれば、私より大きな女の子がいっぱい、大きな彼女たちは皆、私のクラスメートです。クラスの背の順を逆転させてという私の願いは流れ星に届いていたのです。
「ねえ、恵って身長いくつだっけ?」
「えーと、春に測った時は244cmだったけど、急にどうしたの?」
244cm、202cmの私よりも42cmも大きい! 胸が躍り、私は飛び上がりたくなるのを感じました。恵と一緒に学校に向かいます。他クラスには私よりも小さい子しかいないようでしたが、クラスに入るとなんと私よりも大きな女の子しかいないのです。もっとも、男子はそのままのようですので、1番大きい子でも私より20cmくらい小さいのですが。
私はクラスで1番大きな女の子を探します。昨日まで、1番小さかった夏海は確か142cmだったはずなので、私の予想では私よりも60cm背が高い・・・・・・
「おはよう有栖。今日も小さいねー」
巨大な手が私の頭を包み込み、上空から彼女の声が降り注いできます。私は目を輝かせながら彼女を見上げます。巨大な夏海が、ニコニコと無邪気な笑みを浮かべながら私の頭を撫でています。その様子はなんとも楽しそうです。一方私は自分よりも60cmも大きいであろう彼女に頭を撫でられている今の状況に、胸をときめかせていました。
「おはよう。夏海は今日も大きいねー、身長いくつだっけ?」
「またその話? 262cmよ。家の天井は高くしてもらったけど、電車は小さいし、教室もドアは潜るので精一杯だし。はあ、大きすぎて、大変」
悩みを打ち明ける彼女。しかしその様子はどこか嬉しそうにも見えます。人類史で最大ともいえるであろう巨大な彼女を見上げながら私は口元を手で押さえて、その下で込み上げる笑いを隠蔽していました。202cm、というのは巨人であることには変わりないのでしょうが、クラスに入れば私は1番小さな女の子になることができるのです。
*
朝起きた時、私は自分が何か重大な病気に罹ったのではないかと疑った。小さなベッド、小さな机、小さな家。一晩で急激に巨大化した自分はどうなってしまうのだろうとしばらく小さなベッドの上で脚を曲げて絶望していた。しかしその直後、私はより異常な当時の状況に気がついた。自分が今、巨大化した私にぴったりな巨大なパジャマを着ているということ。巨大な制服がハンガーにかかっているということ。勉強机に椅子が用意されておらず、代わりに座布団が引かれているということ。まるで、巨大な私に合わせて全てが準備されているかのように。
パジャマ姿でリビングに向かうと、両親と妹がおはようと、いつもと何ら変わらない朝の挨拶をしてきた。私以外、何の変化も表れていないらしい、妹は小さく、父も多分180cmくらい。私は小さなリビングテーブルに慎重に座り、すでに用意されていた特盛の朝ごはんを食べる。急な環境の変化に私は最初食欲が全く湧かなかったけれど、食べ始めると食欲中枢が刺激されてあっという間にぺろりと平らげてしまった。
「もっと食べる?」
朝ごはんを完食した私に、母が心配そうに尋ねてくる。座っていても私は母をほとんど見上げることなく会話をすることができた。私はしばらくおかわりをしようかと考えたが、やがて首を横に振る。
「ううん、大丈夫。お腹いっぱい」
そう言って私は椅子から立ち上がり、なんとなく気まずくなってそそくさと自室に帰っていった。元々173cmあったから、大きい自分には慣れている。しかし、今の私はあまりに大きすぎる。ドアを通るために腰を曲げ、直立すればすぐそこに家の天井があるのだ。少し手を挙げれば天井にぶつけてしまう、着替える時などは注意しないといけない。最初はいつもと同じように立ったまま着替えをしようと思ったが、やがて私はベッドに腰掛けて、制服に着替えた。小さなカバンの中を漁って教科書を揃えて、小さなカバンを持って私は学校に向かう。
「行ってきます」
「行ってらっしゃーい!」
妹の元気な声が聞こえて私は小さく微笑んだ。世界は普通だ、私が変わってしまっただけで。何がどうなっているのかはわからないけれど、そんなこととは関係なく日常は流れていく。私はそれにうまく乗っかってみることにした。
学校に近づくと、私の巨大さが一段と目立つ。と同時に、私にだけ起きていたと思っていた異変がそうではないということに気がついた。同じクラスの友達がことごとく巨大化している。私よりも背の低かった彼女たちが、私よりも大きくなっている。私よりもずっと背の高かった立花さんが、わたしよりもずっと小さくなっている・・・・・・いや、むしろ彼女だけはそのままなのかもしれない。ただ、本人はそれに気がついているわけではないらしい。いつも通り、友達を見つけて挨拶をする、という朝の日課を誰もが自然に行なっているのだ。今この瞬間にも、私の目の前で立花さんが河田さんを嬉しそうに見上げている。河田夏海・・・・・・昨日までクラスで1番、いや学校で1番小さな女子だった彼女が今はダントツで大きくなっている。どうやら、背の順が逆転しているらしいと、奇怪な現状を私は冷静に受け止めた。
「あ、棚町さん、おはよう!」
にこっと無邪気な笑顔を向けてくる立花さん。普段はそんなに話さないのに、今日の彼女は妙に機嫌が良い。昨日まで頭ひとつ大きかった彼女を見下ろすのはなんとも奇妙な感じがするけれど、私は彼女がやったように挨拶を返した。
「おはよう、立花さん」
「にしても本当、有栖ちゃんて小さいよねー」
「他にも小さい子いっぱいいるじゃん」
「まあそうだけど、小さすぎると逆に近づけないじゃん。なんか、踏み潰しちゃいそうで」
「踏み潰すって、ひどーい! でも夏海なら、本当に140cmくらいの女の子だったら踏み潰しちゃいそう」
「それそれー。本当、私の半分くらいしかない子って、怖い。ちゃんと足元確認しないといけないしさー」
私を抜きにして、身長差トークを楽しむ彼女たち。2人はこんなに仲が良かったっけ? 立花さんはこんなによく喋る子だったっけ? ・・・・・・気にしても仕方がないか。なんせ今の状況自体が私にとっては異常なのだから、これ以上考えたところで頭が混乱するだけだ。
クラスの女子の背の順が逆転しても、日常は淡々と過ぎ去っていく。ちなみに保健室で自分の身長を測ってみたところ、232cmだった。かつては173cmあって、高校に入るまでは巨人と言われ続けてきた。男性の平均身長を超えた女子は、女子ではないと言われるのがこの国の文化なのだ。私はコンプレックスを抑圧して中学生までを過ごしてきた。しかし高校に入って状況は変わった。私よりもずっと背の高い女の子が現れたのだ。彼女に最初会った時、私はとても嬉しかった。2番目に背の低い女子よりもずっと背の高かったこの私が、彼女の顎の下に入ってしまうという状況に私は歓喜して今まで過ごしてきた。
今、私は立花さんよりも大きく、クラスで2番目に背の低い女子になっている。体育の授業では身長のおかげで多少は活躍できていたが、今ではすっかりだ。1番背の高い河田さんなんて、手を伸ばすだけでバスケットゴールに届いてしまう。もっとも、それは河田さんだけではなくて、大抵の女子は届いてしまう。私も少しジャンプをすれば届いてしまう。・・・・・・何が言いたいかと言えば、私だけが持っていたアドバンテージがごっそりと失われてしまったということだ。しかしクラスから一歩出れば私はギネスに載ってしまうくらいの高身長女子になる。街に出ればみんなを見下ろし、クラスではみんなを見上げている。・・・・・・そんな特異な現状を、周りはなんとも思っていないらしい。それがとても不気味で、変化の日から1月近くが経とうとしているのに私はいまだに受け入れることができていない。周りの人々は自然に適応しているのに私だけそれについていけていない、という現状に頭がおかしくなりそうになった。
・・・・・・しかし、まだ希望はあるかもしれない。変化の直後はあんなに元気だった立花さんが、日に日に暗くなっていく。小さい子扱いされてきゃっきゃしていた彼女が、最近ではただ作り笑いをするだけになってしまった。その一方で、他クラスの人とはかなり仲が良いらしい。変化以前は内気でクラス内ですら友人の少なかった彼女が、クラス外に友人を作るなんて。それも、変化より前から交友関係があったわけではないらしく、最近テニス部に入り、そこで友人作りに励むことで交友関係を広げていたのだ。テニス部に入るとき、元々部員であった私にコンタクトを取ってきたことを今でも忘れない。運動が苦手な彼女がどうしてと、当時から今まで私は不思議に思っている。・・・・・・そしてこんなことを考えた。変化を起こしたのは立花さんなのではないか。どうして私だけが事態を把握しているのかはわからないが、そう考えればある程度納得できた。そしてそれを確認するために私は彼女に直接尋ねてみることにした。
「ねえ、立花さん」
「ん? どうしたの?」
彼女の上目遣い、いまだに自分が彼女よりも大きいのだということに慣れない。もっとも、立花さんもかなり大きいのだけれど。
「・・・・・・私たち、昔は身長差逆だったよね」
「え?」
硬直する彼女、目線だけはしっかりと私から外した。それから私たちはしばらくの間、見つめ合っていた。
やがて立花さんは考え込んだのち、ため息をついて首を縦に振る。私は最初、彼女のその行動が信じられなかった。異常な現象は私の記憶喪失によるものだと内心では思っていたのに、あの馬鹿馬鹿しい仮説が認められてしまったのだから。
「・・・・・・どうして? どうして、棚町さんはそれを知っているの?」
「どうしてって・・・・・・逆に私こそ、どうして立花さんが知っているのか気になる」
「そっか、まあ、そうだよね。・・・・・・・棚町さんにとっては、ある日突然身長差が逆転して、びっくりしたよね」
「うん。って、あれ? 何その言い方。もしかして・・・・・・」
事実は小説よりも奇なり、なんて言葉が頭にことんと落ちてきた。私の妄想を超えた現実がそこにはあった。私がおかしくなったのだと思っていた現象の原因が、まさか彼女だったなんて想像していなかった。私と同じ境遇の人だと思っていたのに、むしろ私をそうした張本人だったのだから。
「どうして、私だけこんなふうにしたの?」
「へ? あー、ごめん、それはわからないの。私はただ、流れ星に、背の順を逆にしてほしいって頼んだだけなの。私、昔からデカかったからさ、背の順で1番前っていいなって思っていて。その後、普通に身長を低くしてほしいって頼めばよかったなって思ったし、本当に願いがかなった今、そんな願い事をしたことを少しだけ後悔している」
「・・・・・後悔?」
ぐちゃぐちゃになった頭で、ぴょんと飛び跳ねた1つの疑問がそれだった。彼女の気持ちは私もよくわかる。女子の背の順で1番後ろが定位置、なんていうのはそれなりに嫌がるものなのだ。しかし、願いがかなったのにどうして後悔するのか。私は純粋にそれを疑問に思った。
「うん・・・・・・クラスで1番小さくなって、わかった。私は自分の身長に満足していたんだって。洋服に困ることもあったし、施設が小さくて嫌だったし、巨人とかあだ名付けられるのはすごく嫌いだったし。でも、心の底では私はみんなよりも大きい自分っていうのに優越感を抱いていたんだって。当たり前すぎてそれに気が付いていなかったんだって。昔は小さい子にあこがれていたけど、小さくなった今、私は毎日おびえている。私、身長は高かったけど、体力はないし、勉強もできない。そんな私でも背が高ければ生きていける気がした。でも、今は自力で頑張らなきゃいけない。それがとても怖い」
おびえた表情で、私を見上げる。上目遣い、かわいらしく、愛らしく、しかし儚く憐れな彼女の姿は、確かに以前までの孤立する狼とは打って変わっていた。
「私、次に流れ星が見えたら、背の順をまた逆転してほしいって頼むつもりなの。前みたいに巨人だって言われると思うけど、そっちの方が私には向いていたんだって。下手に環境を変えたから私はより悩むようになったんだって。思った」
ぺこりと会釈をして、すたすたと私から逃げていった。小さな彼女の後姿を見送った。とことこと小走りする様子はとてもかわいらしかった。立花さんよりも背の低い女子生徒なんてたくさんいる、むしろ私たちのクラスから出れば彼女は街一番ののっぽなのだ。しかし、小さな彼女の後姿はとてもかわいく、そして弱弱しく見えたのだった。
*
目覚ましが鳴り響きます。目を閉じたまま音のする方に手を伸ばして、それを止めようとします。バキっと嫌な音がして、私ははっと目を開けて目覚ましの安否を確認しました・・・・・・残念ながら、すでに逝かれてしまいました。ああ、これで何回目でしょう。全く、目覚まし時計が脆すぎるのが悪いんです。うるさい癖に脆いなんて、どうしようもないじゃないですか。
目覚まし時計を壊したことによって私の頭はすっかり目を覚まし、両手を横いっぱいに広げて伸びをします。背中がボキボキいって気持ちいいです。ああ、それにしても家で、立って伸びすることができて嬉しい。少し前まで、天井はたったの240cmしかなかったので、こんなことは外か学校でないとできないことでしたから。起きてすぐ外に出るなんてことしない限り、できないことでしたから。でも今は、天井は300cm、弩は270cm、私でも背中を曲げることなく快適に過ごすことができます。両親に感謝です。
さて、ドアを通って部屋を出たら、まずは顔を洗いましょう。・・・・・・ドアは大きくても、洗面所は小さいです。両親の身長は150cmと158cmと、私よりも1mも小さいので仕方がないのですが。洗面所の床に正座して、顔を洗います。両手で器を作れば、その容量は洗面器と同じくらい。その器で顔を洗うのですが、気を付けていないと、いえ気を付けていたとしても周りを水浸しにしてしまうので、洗顔の後は洗面所の拭き掃除もついでにやります。とほほ、大きすぎるのも困りものなんです。
顔を洗ったら、あとはご飯を食べて、制服に着替えてカバンを持って学校に行くだけです。制服・・・・・・そういえば最近、制服をかけていたハンガーが壊れてしまいました。プラスチック製の太めのものを買ったのですが、特注された特大サイズの制服の重みに耐えられなかったようです。今は金属製も丈夫な物を使っています。カバンの方は、学校指定の小さなやつです。普通の人に取ってはスクールバッグ、私にとってはハンドバッグがポシェットというところでしょうか。まあ、その中に文庫本みたいに小さな教科書を入れて、私は学校に向かいます。
道を歩いている最中、私は色々な人に声をかけられます。近所のおばさんだったり、登校途中の小学生集団だったり。小さな人とすれ違う時、私は足元に注目しながら慎重に一歩一歩足を踏み出します。私の半分くらいしかない人は、ぼーっとしていたらそのまま蹴飛ばしてしまいますから、それを避けるためです。特に子供は私と足の比べっこをしようと足元に集まってくるので、神経を張ります。
学校に近づいていくにつれて、女子の平均身長が高くなっていきます。それは紛れもなくうちのクラスのせい、どういうわけか、うちのクラスの女子の身長はとても高いです。1番小さい有栖でも202cmあります。世間では男女の平均身長は171cmと159cmだっていいますが、男子はそれくらいみたいですけど女子の平均身長は240cmくらいあるんじゃないでしょうか? ちなみに1番高いのは私で、262cmあるんです。身長高いのを嫌だって思ったことはあまりないのですが、ここまで大きくなると結構不便なことがあります。電車に乗れませんし、体育倉庫とかもハイハイで中に入る必要があるので体が余計埃っぽくなります。コンビニとかも、天井につかえちゃうことがよくありますし。でも、皆よりも秀でているっていうのは、それだけで気分が良いものです。
「おはよー」
私よりも60cm小さい有栖に挨拶します。有栖は気が付いていないみたいです、身長差がありすぎるとこういうことが起きるんです。私は肩をトントンと叩きます。ちなみに、学年で1番小さい子は148cmなのですが、なんと私のおへその位置に彼女の頭があるんです。小学生と同じくらいの身長なので・・・・・・まあ、私が小学生の時は200cmはありましたが、横を通る時は慎重に足を動かします。肩を叩くと、有栖が後ろを向いてから、私を見上げます。
「おはよう!」
にこっと気持ちの良い笑顔を返してくれる有栖。本当に、有栖は良い子です。いつでも礼儀正しくて、小さくて、かわいい。まあ小さいといっても200cmあるので世間では大きい方なのですが。
「そういえば今日、流れ星が見えるんだって」
「へー、そうなんだ。見られるといいなー」
「うん、見たい!」
目を輝かしながら胸の前で拳をぎゅっと握り締める有栖。この子、こんなに星が好きだったんだ。無邪気に喜ぶ有栖を大きく見下ろしながら、私は目を細めました――
・・・・・・高校に入るまで、私の唯一の自慢は身長でした。中学3年生春の測定で258cmあり、当時は日本一だろう、いえ世界一の高身長女子だろうと思っていました。高校に入るまでは――
高校1年生の春、私は262cmになっていました・・・・・・普通の身長計で測りました。中学校では身長計が上限220cmだったので床に寝て測っていたのですが、この学校では普通に直立して、専用の器具で測ることができたのです。なぜなら、私と同じくらいに、いえ私以上に大きな女の子がこの学校にはたくさんいたのですから。
262cmある私ですが、クラスの女子では1番小さいです。もっとも他のクラスは普通の身長なのですが、私のクラスだけ大きな女の子が集められています。そして、1番小さいのが私で、1番大きいのは・・・・・・あ、ちょうど見えてきました。小走りで彼女の元へと向かいましょう。
「きゃっ!」
「あ・・・・・・ごめんなさい」
中腰になってこれでもかと頭を下げて謝罪します。ぶつかってしまった女の子は私のことをおびえた様子で睨んできます・・・・・・その気持ち、よくわかります。私の方がその子よりも1mくらい大きいですが、よくわかるんです。
背筋を伸ばしてから、今度はゆっくりと、しかし急いで彼女の、有栖の方へと向かいます。私よりも60cmも大きな322cmの女の子、歩幅の違いもあって早歩きをしないと追いつけません。そして、私は彼女の背中をとんとんと叩きました。有栖はゆっくりと振り返り、私を見下ろします。
「おはよう、有栖」
無言でにこりと微笑み、私の頭を大きな手で撫でてきました。
「おはよう夏美」
私の頭を包み込むようにして撫でる有栖。昔から大きかった私は頭を撫でられることに慣れていません。それに、されているとなんだか屈辱を感じてしまいます。去年までは、クラスの小さな男子をこうやってからかったりしていましたが、こんなに嫌なことなんだなと、自分がやられて初めて気が付きました。
「立花さん、おはよう」
私の上空から、別の女の子の声。同じクラスの棚町さん、有栖の次に背の高い、290cmくらいの大きな女の子です。
「おはよう棚町さん。そういえば昨日、流れ星見られたよ」
「うん、知ってる」
「ふふ」
私の頭の上に手を乗せた状態で交わされる2人のやり取り。きっとこの2人の視界に私は入っていないのでしょう。うーん、屈辱! 悔しい! 私は有栖の手をパンパンと叩いて抗議を開始します。
「もー、2人とも私を忘れないで!」
「あー、夏美ごめんごめん」
「あーあ、私も2人と同じくらい大きくなりたかったなー」
「ふふ、でも夏美はそのままでかわいいよー」
「かわいいっていうのはまあ嬉しいんだけど、なんとなく悔しい」
反発する私に、薄笑いを浮かべる有栖。あー、そういう小さい子を見る目がとても屈辱的です! 私だって世界一って言っていいくらい大きいはずなのに・・・・・・世界は広い、ただそれだけを感じます。
巨人3人を避けるようにして通学する普通の身長の生徒たち。いけない、授業が始まってしまいます。私ははっとして、有栖を置いて早歩きで校舎に向かいました。
「2人も、たらたらしてると遅刻しますよー!」
途中、優しい私は振り返って忠告してあげます。まあ、そんなことをしなくても遅刻なんてしないのでしょうが。あー、身長高いの、うらやましいなー。今日の私はそんなことばかり考えています。
*
『背の順を逆にしてください』と昨夜流れ星に向かって3回唱えました。小鳥のさえずりが聞こえます、外が明るいのがわかります。目を開けたら願いが叶ったかどうかがわかるのに、睡魔に負けてしまって中々起きられません。
背の順を逆に、そんな阿呆な願い事をしたのは1ヶ月くらい前でしたっけ? 最初は、小さくなりたいと思ってそんな願い事をしたのでした。しかし実際には、私の身長はそのままで周りの背が伸びたのでした。
・・・・・・ん? ちょっと待ってください。今度の願いはどうやって叶えられるのでしょうか。私の身長はそのまま? それとも・・・・・・
パチッと目を覚まします。しばらく天井を眺めます。自分の手を見てから、私は胸をドキドキさせながら体をゆっくりと起こしました。・・・・・・嫌な予感が的中しました。部屋は大きいのですが、物はとても小さくなっています。壁にかかっている時計は手のひらサイズですし、ノートはメモ帳みたいです。机は大きいですが、大きいからこそその上に置かれた物の小ささが目につきます。
おそらく私は、夏美の262cmよりも60cm高くなって、322cmになっているのでしょう。322cm・・・・・・真っ先に心配したのが学校の天井です。学校の天井の高さは300cmに設定されていると聞いたことがあります。もしかすると私は学校で背中を伸ばすことができないかもしれません。
とりあえず、立ち上がります・・・・・・天井に頭はぶつけません。明らかに、天井を高くしたような跡が見えます。しかしドアはそのままらしく、私はしゃがみ込んでドアを通りました。見慣れた風景、なにもかもが小さくなったミニチュアの世界です。しゃがんだまま廊下を歩いてリビングに向かいます。母がキッチンに立っています。私の母は170cmだったと思いますが、ほとんど私の半分しかありません。正座をした私と母の身長がほとんど同じだと気がついて、私は自分の巨大さを実感してずんと心が沈むのを感じました。
「ごはん、早く食べて」
お母さんはいつもと変わりなく、キッチンで作業をしています。テーブルに置かれた朝食の量は、とても女子高生のものとは思えません。サンドイッチが山を作っています。朝からこんなに食べられるわけないでしょと最初は思いましたが、手に取ってみるとサンドイッチの小ささに唖然として、これで足りるのかと思ってしまいました。そして何の問題もなく山積みのサンドイッチをぺろりと平らげました。
「ごちそうさまでした」
私は中腰になってリビングから出て行きます。私の部屋以外の天井は普通の高さらしく、屈まないと歩けません。そして部屋に戻るなり、私は背筋を伸ばしました。ふう・・・・・・大きいのは大変です。でも、今の状況にわくわくしている自分がいます。学校に行ったら、おそらく私はクラスで1番大きな女の子です。昨日まで夏美とか棚町さんとかに見下ろされていましたが、きっと今日からは彼女たちを見下ろす側になるのでしょう。そう思うと、ワクワクして踊りたくなります。
巨大な制服に着替えて、手のひらに乗せられそうなくらいのバッグを掴んで私は学校に向かいます。家の中からはわからなかった私の巨大さ。カーブミラーとか、信号とか、標識とか、普通ならはるか頭上にあるようなものが、私の手の届く範囲にあります。私の半分しかない小さな人が、そこら中歩いています。小人の国に入ってしまったような、もしくは託児所の保育士をやっているような気分になってきます。小さい人に囲まれて、なんだか心が浄化されていく気分です。心が凪の水面のように静かになってきました。
学校に近づくと、ちらほら大きな女の子の姿も見えてきます。とはいっても、私が断トツで大きいのですが。私の前に昨日までのような障害物はなく、見晴らしが良いです。
「おはよう、有栖」
背中のあたりからかわいい声が。振り返って見下ろすと、夏美が上目遣いで私のことを見上げています。小さな夏美、多分私よりも60cmくらい小さい。それでも、260cmくらいあるのでしょうが。それにしても、昨日まであんなに大きく感じていた夏美が今ではこんなに小さい。私は思わず彼女の頭を撫でます。さて、他の子はどんな感じなのでしょうか。周りを見回してみると、さっそくいました棚町さん。小さく微笑んで彼女は私に会釈をします。
「立花さん、おはよう」
私の顎の下に入るか入らないかくらいの、小さな彼女。クラスで2番目の高身長、でも私の方がそれだけ大きい。私を見上げる彼女の微笑はあたかも昨日の私の行動を完全に見透かしているようです。
「おはよう棚町さん。そういえば昨日、流れ星見られたよ」
「うん、知ってる」
「ふふ」
短いやり取りをして、私たちは小さく頷きあいます。下目に移る夏美は頬を膨らましています、視界に入っていないことに不満を覚えているのでしょう。とりあえず、怪しまれていないことに安堵しました。
気が付けば、私のクラスは巨人集団になってしまいました。そしてその中でも私は断トツ巨大です。普通の身長の人を見ても、自分と同じ人間だとは思えません。だって、2倍も身長差があるんですよ。これから成長するわけでもないのに。そんな巨人となってしまった私ですが、心はとても穏やかです。何にも恐れる必要がなく、ただ自分の好きに生きようという活力が湧いてきます。322cmという目線は以前よりも遥かに高いものです、びっくりするくらい高いです。種類によっては、私の目の前に葉っぱがあるんですよ。もう、正真正銘の巨人です。でも・・・・・・前のようにみんなを見下ろすことができる、それだけで私は不思議な安堵感を抱くことができるのです。
-FIN