ナンパ男

 夜11時ごろの上り電車ほど静かな空間もないだろう。その車両には男しかおらず、シートで横になりながらスマホをいじって暇をつぶしていた。
「あー、暇だ暇だ」
 男は車両に響くほどの大声で言った。スマホにゲームをインストールしては10分足らずで飽きてデリートするということを何度か繰り返し、男の不満は頂点に達していた。刺激に飢えていた、今なら麻薬にでも興味本位で手を出しそうな勢いだった。
「まもなく、$$駅に到着します。お出口は、右側です」
 アナウンスが流れる聞いたこともない駅名。昼間から酒を飲んで泥酔し、気が付けば終点の僻地に到着していた男にとって、ここら辺の駅はすべてが未知であった。
「こんなところ、降りてもなんもねえよな」そう言って電車の外の山々を睨みつける。
 ふっと、男の視界に人影が映る。そちらに目を向けて、男はにやりと笑った。女だった。餌を得た犬のように、よだれを垂らしながら女に近づいた。
「お姉さん、今お暇?」
 警戒心をむき出しにして一瞥をした後、女性はスマホを凝視する。
「ねえ、良かったら一緒にしゃべらない? 俺いま、マジ暇すぎて死にそうだから」
 それでも女性は無視した。男は苛立ち、彼女の手を取る。
「ねえってば」と強引に手を取り、女性がびくりと顔をこわばらせる。が、男はそんな女の恐れの表情には気が付かず、彼女の手に意識を向けた。
「お姉さん、手、大きいね」
 男は身長182cmとそれなりの高身長であり、手もそれに比例して大きい。しかし今彼がつかんでいる女性の手は、それよりも一回りほど大きかった。
 そこで男ははじめてその女性に違和感を抱いた。彼女の座るシートは普通のものでありながら、そこだけ妙にシートが小さく見えるのだ。
「ねえお姉さん、ちょっと立ってみてくれない?」
「嫌です」女性はきっぱりとそう言う。男はむっとして、「あっそ」と言って女性の隣でスマホをいじり始めた。

 女性は男が自分に興味をなくして最初はほっとしていた。しかし時間が経つと、男と2人きりの空間で、男と喧嘩したという今の状況に不快感を覚えた。それに耐えられず、女性はさりげなく席を立ち、ドアの前に立った。
「おお!」
 それを待っていたかのごとく、スマホをポケットにしまい、シートから立ち上がり女性に近づいた。女性はそんな男に赤面した。一方男は目を輝かせてこう言った。
「すっげー」
 男は女性の頭に手を伸ばす。男よりも頭一つほど高い。男も車両によってはドアを通るときに頭を下げるほどの長身であるが、女性の長身はその比ではない。ドアが彼女の肩にあった。
「でっけー!」そう言いながら女性の全身をじろじろと見まわす。普通のOLのような恰好で、上は白いワイシャツ、下は黒のスカート。ヒールは履いておらず、素の身長が男の
目の前にどんと置かれていた。
「あの、そんなに言われると・・・・・・」女性は恥ずかしそうに俯く。
「なんでよ、かっこいいじゃん!」おもちゃを見る少年のように、女性を見る男。「魅力的だと思いますよ」そんな定型文で、女性を刺激した。
「魅力?」男のセリフに返事をするように、女性はぼそりとつぶやいた。
「はい!」男は元気よく、そう答えた。女性は照れ臭そうに、小さく微笑んだ。褒められることに慣れていない彼女は、男のそんな定型文に対しても、さっきまでの行為を忘れて喜んでしまうのだった。
「ねえ、もっと教えてよ。身長は、何センチ?」
「もう、ずっと測っていないので」
「じゃあ、最後に測ったのでいいからさ」
 女性は目をちらちらと動かしてから、小さく「202センチ、くらい」と答える。それは高校卒業時の身長であり、実際には205cmであったが鯖を読んでいた。またそれからも背を伸ばした彼女の身長は210cmプラスアルファ程度となっていたが、そんなことは今の2人にはそこまで関係がなかった。
「すっげー!」男は一層目を輝かせて「足も大きいよね、何センチ履いてるの?」
「さ、30です」へー、と言って、男は自分の28cmの脚を横に並べる。長さで言えばたった2cmの差、しかしその大きさは、頑張れば彼女の革靴に男のスニーカーが入ってしまうほどのものであり、その差分に男は目を見張った。
 その後は年齢とか彼氏とか男女の話になり、女性は恥ずかしそうにそれらの一々を答える。最初は嫌がっていた彼女も、男がそこまで嫌な人ではないと思い、楽し気に会話をした。
「あ、私次で降りるんですよ」
「あ、そうなんだ。ねえねえ、連絡先交換しない」
「え?」一瞬、警戒心を見せる彼女。しかし自然とスマホをカバンから取り出していた。
「久美さん、彼氏いないんでしょ。じゃあ、俺と付き合わないかな?」連絡先を交換しながらも、男は話をやめない。女性は流されるように、「は、はい」と生返事をした。
 電車が止まり、慣性の法則で2人は若干揺れた。男の顔が久美の胸に軽く触れ、2人は同時に赤面した。そして、ドアが開く。
「じゃあね、久美さん! また会おうね!」
「は、はい!」久美は男の方を向いたまま走り、肩をドアにぶつける。ここが車内であることを思い出して、久美は腰と膝を同時に曲げて、ドアを抜けていった。
「ばいばい!」
 久美の目線から車内は覗けない。男はドアのぎりぎりのところに立って、久美に手を振った。久美は男に会釈をしながら、顔を紅潮させて去っていった。
-FIN