適材適所

 私は小さい時から自分の高身長が自慢だった。まあ、小さい時っていっても、小1で160cmあったから、実際には小さくなんてなかったって思うけど。
 小1にして学校の生徒で一番身長が高くて、担任の女の先生とほとんど変わらなかった。たまにクラスに来る6年生のお兄さんお姉さんよりも
当たり前のように背が高かった。飼育小屋にいたお兄さんなんてとても小さくて、自分の顎の下に入ってしまうくらいだったのを覚えている。それでも、同じ年の友達に比べたら高かったんだけど。
 入学時に160cm、それからも私の成長は続いて、3年生の時には180cmになった。街を歩いていても、私より背の高い人はほとんどいない。学校でも、当然児童では私は断トツの1番で、先生を含めても2人くらいしかいなかったと思う。その頃『日本一背の高い小学生』としてテレビに出演した。6年生くらいだと180cmある人もいるけど、3年生で180cmというのはとても珍しくて、ネットではかなりの有名人になっていたことをそのあと知った。

 それからも私の身長は順調に伸びていった。6年生になった時、私は秋の測定で200cmになっていた。当時の私にとって、200cmというのは特別だった。190cmはまだいると思う、でも200cmは巨人の仲間入りをしたように思えて、嬉しかった。大きい子でも160cmくらいで、私の肩にすら届いていない。背伸びをしても、顎にはまだ届かない。そんな友達の頭を私はよくポンポンと叩いた。
 ちなみに小6で160cmというのは結構高い方で、小さい子が130cmくらいだったから、160cmの子は私と同じことを130cmの子にやっていた。でも、私と2番目の子の身長差の方が10cmも大きい。そして私と130cmの子が並ぶと、その子の頭は私の肘にあった。肩を叩こうとすると若干かがまないと手が届かないくらい、私たちの身長差は圧倒的だった。昔からのことだけど、私は常に下を見ていないと小さい人を見失ってしまう。130cmの子は当たり前だけど、160cmの子だってぼーっとしていると見失うことがよくあった。
 この時まで、私はこの身長を生かしてバスケとかバレーで活躍するものだと思っていた。クラブではバスケ部に入って一番うまかったと思うし、身長だけならNBA選手の平均198cmも超えていたから、そうなるものだと思っていた。
 小学生までは――

 中学生になった私は、当然学校で一番背が高く、もしかしたら当時すでに街でも一番背が高かったかもしれない。そういえば、6年生くらいから自分よりも背の高い人を見た覚えがない。
 200cmを突破した私は、最初は全校生徒に押しかけられ、そのあとは運動部の熱狂的な勧誘を受けた。普通ならしつこい勧誘にうんざりすると思うけれど、私は自分の長身が中学というところで認められたことが嬉しくて、運動部を片っ端から仮入部した。また、先輩に声をかけられて背比べをさせられる時もあった。そんな時はいつでもそれに応じて見せた。背比べする人は先輩でも同学年でも180cmくらいの背の高い人が多かったけれど、私の視界からは頭のてっぺんが見えてしまうくらいだった。たまに150cmくらいで背比べしてくるやんちゃな子もいて、鳩尾くらいの高さしかない子の頭を、小学生の時みたいにポンポンと叩いてやった。
 部活は結局バスケ部に入った。バレー部とかなり悩んだけど、中学女子バレーのネットは215cmしかないらしく、卒業するまでに私の方が高くなりそうだから、バスケにした。
 この時が、私が夢見る乙女でいられた最後の時期だったんだと思う。

 バスケ部に入って3か月、1年生にしてレギュラーになった私は毎日放課後18時まで必死に練習するようになった。小学校とは違う、激しい練習。身長は部で一番でも、体育会系の縦社会と実力主義は当然そこにあった。そしてそこからくる、部員からの嫉妬も。1年生にして、身長が高いというだけでレギュラーになった私に人間関係の問題が付きまとった。
 私はそんな人を無視して、必死に練習に励んだ。放課後の練習だけじゃなく、朝練にも毎日欠かさず出た。成長期に入ったのか、自分でも自覚できるくらい身長も伸びていった。そんな成長期に拍車をかけるような勢いで、私はジャンプを繰り返して骨に刺激を与えようと、部活動にのめりこんでいった。
 そしてある日、私はアキレス腱を切った。
 アキレス腱くらいだったら、中学生くらいなら半年も休めばある程度は復活するらしい。でも、私を待ち受けていたのは部員からの悪意だった。私の不幸を慰めてくれたのは私を熱心に勧誘してくれた部長だけで、他の先輩や同級生は私を笑うことしかなかった。
 今思えば、それは当然だ。私には運動神経がない。それに加えて背が高すぎて、素早く動けない。バスケは身長よりも、ボールを奪われたときに素早く奪い返すための瞬発力が大事だ。実際、NBAでも160台の選手はごくたまにだけど、いる。私にはそんな瞬発力がなかった。才能がなかった。そして私は入部3か月にして退部して、その後は卓球部に入って緩い放課後を過ごした。
 私の夢、終了――

 アキレス腱を切ったといっても、バスケ部を辞めたといっても、夢を諦めたといっても私の成長期に終わりは来なかった。まず、バスケをやめて、それまでの運動のエネルギーが成長に使われたらしく、1か月で3cmくらい伸びた。そしてそれからもぐんぐんと伸び続けて中学校3年間で30cm伸ばして卒業時には230cm、そして地元の高校に進学して、そこでも20cm伸ばした。
 スポーツ選手になるくらいしか使い道のないこの巨体。私は進路に迷った。高校を卒業したらどうしよう。勉強はできないし、就職も制服の問題とかで全然決まらないし。家事手伝いといっても、父はサラリーマンで家業なんてないし、そもそも母を働かせて私が家事をするっていうのも、母に申し訳ない。
 私には身長しかないんだと、その時初めて気づかされた。身長だけならギネス級。というか、最近ギネスに正式に登録された。テレビにも出て少しは話題になった。でも、私にはほとんどお金は入らなかった。その若干の知名度を使ってモデルになれたりしないかと、勇気を出して事務所に応募してみたけれど書類で落とされた。はい、絶望。

 失うものはなにもない。私は芸人になることに賭けた。私には身長しかないけれど、身長だけはある。街を歩くだけで誰からでも声を掛けられる、みんなに顔を覚えてもらえる、そんな最強の広告が。
 思い立ったら吉日と、私はその日のうちにSNSアカウントを開設した。親や友達にバレるのは恥ずかしいから最初は控えめに動かしていたけど、それだと全くフォロワーが増えない。私はフォローを増やしたりハッシュタグを使ったり、DMを開放してみたりしてどんどん自分を売名していった。フォロワーを離さないように努力した。すると多少は効果があったけれど、100人にも届かなかった。DMでは怪しいリンクが送られてきたりして閉じようかと思ったこともあった。でも、一応は効果があったので我慢した。
 目標は1000人、私の中でそんな目標を立てていた。ネットの海で自分を売るにはそれくらいないと、ネット記事で読んだからだ。私はそうなれるように、まずは100人を獲得できるようにと、気が付けば1日中SNSのことばかりを考えるようになった。
 アプリと連携してみたり、質問箱というサービスで匿名のメッセージを募ったり、流行っていることはなんでも取り入れた。質問箱はわりと効果があって、1日に5件くらいは質問が送られてきた。たいていは他愛もない質問ばかりだけれど、ちゃんと返しているとどんどん増えてくるので、ちょっと怪しくてもきちんと返した。
 ある時、「身長250cm証拠を見せてください」という質問が届いた。SNSには慣れてきていたけど、写真を載せるのはまだ抵抗があった。実際、親にも友達にも、まだSNSのことは言っていなかったのだから。私はそんな質問に、「恥ずかしいので(汗)、できませんm(__)m」といつものかわいらしい絵文字で返した。
 するとすぐ次の質問が来た、「証拠を見せられないということは、あなたはネカマですね」。私はこの質問にはイラっとした。私は人生をかけてSNSと質問箱をやっているのに、そんな暇人みたいなことをするわけないと、心の中で叫んだ。しかし次の質問で、私ははっとした。
「身長250cmって、もしかして大野真由美さんですか?」
 よく考えてみれば、ギネスにも載っている有名人が身長を明かして匿名でSNSをやっても意味はない。身長を明かすのなら、実名を明かしているようなもの。そしてそれができないのなら嘘つき呼ばわりされても仕方がない。そして、私には身長くらいしか人目を引けるものはない。
 私は勇気を振り絞って写真を載せた。比較対象があるといいと思ったので、去年友達に取ってもらった、自動販売機の隣に並んだ写真。私は真横に腕を伸ばして、自動販売機はそんな私の腕よりも下にある、そんな写真。
 それから1週間後、私のフォロワーは1000人を超えた。一々質問を返すなんてことはできなくなった。

 私がつぶやくたびにリプライが100くらい付く。おはようとつぶやけば、100人くらいの人がおはようと返す。ご飯の写真を載せれば、同じようなリプライがこれまた100くらい付く。毎度毎度、私の日常に100人くらいの人が興味を持ってくれるのが、私はなんとなく嬉しい。
 質問箱は返さなくなっても、質問はたまにくる。そしてたまにこんな質問をいただく。
「お仕事は何をされているんですか?」「結婚したって本当ですか?」
 そんな純粋な質問が私の胸を刺してくる。と同時に、1つの光も見えた。SNSの力で、私は仕事を見つけられるんじゃないか。就活は1度失敗したけれどまだ私にできる仕事はあるんじゃないかと。しかし油断は禁物、下手したら、無職の巨人、独活の大木と炎上して、せっかく増やした2000人のフォロワーに見捨てられてしまうかもしれない。
 私はフォロワーとの距離を縮めることに努力した。あわよくば、私を養ってくれるくらいの熱狂的なファンに出会えれば、くらいの覚悟で私は一層SNS活動に力を入れた。その頃には地元でもある程度の人に私のSNS売名計画は知られており、友達からDMで応援メッセージをもらったこともあった。
 私は毎日SNSに写真を載せた。できるだけ、大きさがわかるものを。こうすると受けが良いのは学習済みだった。
 高校時代、240cmくらい、150cmの友達を前に抱えて撮った写真。友達の頭が私のお腹にある。
 高校時代、多分250cm、学校の天井を触る写真。軽く腕を曲げた状態で天井に手が届く。同じように、バスケゴールに触る写真。
 中学時代、210cmくらい。180cmの男子をあごの下に入れて笑っている。
 高校時代、合唱祭。180cmの男子が胸までしかない。胸から上が飛び出ている私。
 最近の写真、天井の高さが200cmくらいしかない公衆トイレで、膝と腰を曲げて天井に手をつきながら移動する動画。
 などなど、使えるものは何でも使った。目線を入れているとはいえ友達に怒られるかもしれないと思ったけれど、私の状況を知っているみんなはそれを理解してくれた。私には身長だけじゃなくて、良い友達もいるんだと思って、少しだけ泣いた。
 フォロワーはどんどん増えていき、あっという間に7000人になった。そして私はとうとうあのことを言う腹を決めた。
「いつも見てくださり、ありがとうございます。7000人の記念として、ライブ放送をしようと思います。ぜひ、お越しください。今まで答えて来なかった質問にも答えちゃいます!」

 私はすべてを話した。アキレス腱を切ったこと、バスケ部で人間関係に悩んだこと、そして、身長のせいで仕事がないこと。今は家事手伝いという名目でニートをしていること。
 そして放送の最後に、私は人生をかけて、視聴者の方々にお願いする。
「もし、私にもできるお仕事を知っていらっしゃる方は、私に教えてくださると、嬉しいです」
 その日は放送を終えてからすぐに寝た。

 翌朝、私の元には過去最高の数のメッセージが届いた。励まし、感想、そして仕事の提案。どれも有難いものだったけど、予想に反して、企業からのオファーなどはなかった。SNS就活を狙っていたのに、私は失敗したかと、メッセージを読み進めるに従い不安が増してきた。
 フォロワーの励ましの中に、土木とか、歩く広告塔とか、林業とか、アイデアはもらったけどそれをどうしたら実現できるのか、そこまでは教えてくれない。わがままかもしれないけど、それがないと私は何もできない。
 ただ1つ、あるお店からオファーがあった。私は頭を悩ませながら、眉をひそめつつ内容を読み進めていった。
 長身風俗店からのオファーだった――

 電車は小さいけど、車はもっと小さい。だから電車を使う。
 車内シートに座り、乗ってくる人々のぎょっとする顔を無視しながら、私は目的地に向かう。座っていても身長165cm、ちなみに脚は長い方で、50%が脚。それでも座高は125cmあるから、そうなってしまう。身長が高すぎるから。
 それでも座っていると立っているときに比べたらまだ長身は目立たないようで、スマホばかり見ている人は最後まで私の違和感に気が付かない人もいた。それはそれでつまらない。
 目的地に到着。私はぬっと立ち上がり、中腰になりながらも天井に頭をこすらせ、思い切りしゃがんでドアを抜ける。抜けたと思って安心していたら、今度は案内板に頭をぶつけてしまった。ぶつけることを考えて作られていないから、角が頭皮に刺さってしばらく頭を押さえていた。
 頭上と足元の集団、両方に気を配りながらホームを歩き、私の太ももの中央らへんにある低い低い自動改札口のフェリカをタッチして出口に出る。外、私はそこで背伸びをして見せた。誰もが私に注目していた。繁華街に来るのは、そういえばかなり久々だ。
 フォロワーに声でもかけられないかなと期待しつつも、7000人くらいじゃそこまで知名度はないらしく、私は目的地を目指す。路地裏の派手な看板のお店。私は深呼吸をして、その小さなドアをくぐった。
「すみません、お話をいただいた、大野真由美ですが」
 その途端、奥からバタバタと足音が聞こえ、白いワイシャツに黒いベストといういかにもそれらしい男性に出迎えられた。
「お待ちしておりました! ささ、こちらへ」
「は、はい!」
 出迎えの反応の良さに、私は緊張してきた。

 私は夢見心地で家に向かっていた。一つは、仕事が決まった事への喜び。もう一つは、その待遇の良さ。まず給料が良い、もちろん私の活躍に因るわけだけど、毎日入れるのなら月に30万円は最低でも稼げるといわれた。次に、プレイの内容。風俗というと性交渉をするものと思っていたけれど、その店は添い寝とか、一緒に街を歩くとか、そんなプレイも売りにしているらしい。ただエッチなものだけが風俗じゃない、楽しませればなんでも風俗だと、店長に言われた。そして私は初めてなので、まずはエッチじゃないものでシフトを入れた。
 私はSNSでこのことを正式に報告した。隠してもどうせバレてしまうのだから、最後に7000人のフォロワーに売名をしようと思った。風俗を選んだ理由は、本当にこれしか仕事がなかったから。もうすぐ成人するし、いつまでも親に迷惑はかけたくない。一生働かないで暮らせるよう、3億稼いだら辞める。などなど。
 慰めや私を引き留めるリプライをたくさんもらった。私はできるだけ返信をした。やがて、私の意志が固いことを知るやそんな優しさは誹謗中傷へと姿を変えて炎上した。本当に、皆さんには申し訳ないと思いながらも、私の中にはこれでやっと人生を始められたとの安心感が確かに存在していた。
 職業に貴賎なし、そして私は風俗嬢。この世界一の体で、皆さんに夢を与える。
 そんな誇りを持ちつつ、私は車で夜の街へと向かっていくのだ。
-FIN