願いをかなえて
感情とは不可解なもので、他の生物でうまくいったことが人間ではうまくいかないということはざらにある。そんな不思議で魅力的な感情に興味を抱いて、僕は気が付けば「光学による生体機能の選択的変異」なんていう研究テーマを持つようになっていた。
「ねえ,身長を伸ばせる装置とか,作れないかな?」
放課後、いつも通りまっすぐ家に帰ろうとした矢先、唐突にそんな相談をしてきたのはクラスメートの女の子.僕よりも10cmくらい背の高い、あまり話したことのない女の子だった.僕はしばらく考えてから,その質問に答える.
「・・・・・・できなくはないとは,思うけど」
完全な憶測だった。方針はあるけれど、現実的かどうかはわからない。しかし当然そんなこちらの考えなど向こうは知らず、そう言った瞬間女の子の表情がぱっと明るくなる.
「本当? ねえ,作ってみてくれないかな?」
「えーと,それはどうして?」
とりあえず、理由を尋ねる。130cmくらいの人が言っているのならまだしも、中1女子で160cmというのは、多分クラスで2番目くらいに背が高いはずなのだ。すると女の子は少し恥ずかしそうにうつむいてから,答えた.
「私,モデルになりたいなーって,思ったの.でもモデルになるためにはもっと身長が欲しくて.もちろん,ダイエットとかもしなきゃいけないんだけど,身長だけは,努力できないからさ」
そして彼女は軽くかがんでから僕の手を取る.柔らかい手で,僕の手を包み、まっすぐ僕を見て懇願してきた.
「ねえ,お願い.私の身長を伸ばして」
「う,うん。まあ、考えてみます」
そう言って僕はそそくさとその場を去る。彼女の切実な表情が頭をちらつくたびに、僕は頭をふってそんな邪念を飛ばした。
僕の部屋には様々な機械がある。マウスを飼育する機械、レーザーを作る機械、その他もろもろ、特殊な機械。すべて手作りで思い出深い機械ばかり。もともとは山に捨てられたガラクタを集めたことから始まった。今では、世界有数の研究所になったと自負している。
中学生の自称天才発明家、けれどもアメリカに行って飛び級をする気なんてない。人生は長いのだから、年相応の時間を過ごしてもよいと思うし、そちらの方が自由だ。趣味は自転車で遠くに行くこと、好きな給食は揚げパン、嫌いな食べ物はパプリカ。そう、僕は普通の中学生。
椅子に座り、ノートを開いて考え事。はて、何をしようかと考え始めた途端、さっきの光景が瞼に浮かんできた。ああ、背を伸ばす機械か。たしかにできないことはないと思う。僕は以前に植物を過剰成長させる光線というものを開発していた。もちろん植物と動物は異なるものだけれど、すべてが違っているわけじゃない。植物でできたことを、動物にも、さらにはより単純な有機物に対しても応用できるかもしれない。
「・・・・・・よし!」
コピー用紙を手に取ってアイデアを列挙する。スイッチが入れば後は流れ作業。仮説を立てて実証検証、次のテーマはこれで決まりだ。
――ふっと脳裏によぎる1つの疑問。はて、僕はどうしてこんな研究を始めたんだっけか?
依頼を受けて2か月が経った。アイデアを形にすることはできたが、安全性の証明に時間がかかった。成長を促す光線自体は1週間くらいでできたものの、人に照射する以上、安全性の確認は慎重に行わなくてはならない。僕はまず、マウスに照射した。理論通り、マウスは成長した。そしてそのマウスを孫の代まで監視した。特にこれといった以上は見られなかった。以上の実験を踏まえて、僕は自分の発明品を安全だとみなした。人体を扱うのは初めてだが、おそらく人でも大丈夫だと思う。
「お邪魔しまーす」
女の子を部屋にあげるというのは若干気が引けたけれど、依頼人なのだから。仕方がない。研究室のドアを開けるなり、彼女は声をあげた。
「うわー、すごいねー!」
「あまり、触らないで。壊れやすいものではないけど」
「うん! わかってる。それにしても・・・・・・発明家っていう噂、本当だったんだね。すごい!」
発明家、自称することはあっても人にそう呼ばれるのは少し照れ臭い。僕は機械のセットアップに集中しているふりをして、返事をしなかった。女の子は好奇心旺盛に、研究室をじろじろと見渡していた。
「では、この中に入ってください」
「はーい。って、狭いね」
「押入れを改造しているので」
「足は、曲げてもいい?」
「うん。体を通り抜ける波長を使っているので」
女の子は押入れの中に入り、その場で体育座りをする。押入れを封鎖し、最後に彼女に確認する。
「10分で終わります。初めてなので、まずは170cmに成長させたいと思います。確認ですが、後悔しませんか?」
「うん、お願いしまーす」
マイクをオフにして、スイッチを押す。外からは何もわからないが、中では強力な光線が彼女を照らしているはずだ。異常がないかを見るためサーモグラフィーで観察しているが、正常である。体温が38度、光線を照射して成長をさせるとき、マウスの実験でも体温が上がっていた。
10分が経過し、自動で電源が落ちる。マイクをオンにする。
「終わりました。体調などに異常はありませんか?」
「え? これで終わり? なんかサウナに入ったみたい」
「はい、終わりです」
押入れを開ける。彼女の姿を見て、僕は安堵した。ちゃんと、一回りくらい大きくなっているようだった。
「終わりかー」
女の子は押入れから出てきて立ち上がる。彼女の頭がぐんぐんと高く・・・・・・高くなりすぎた。
「おー、すごい! 背が伸びてる!」
女の子は嬉しそうに周りを見回し、また僕を見下ろして頭をなでてからかってくる。おかしい、170cmに設定したのに、それ以上に成長している。すかさず簡易身長計で彼女の身長を測る。185.2cm、設定よりも15cmも伸びてしまった。たった10分間の照射にも関わらず。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「うん? どうしたの?」
僕はコンピュータを見て、設定が正しいことを確認する。操作ミスではない。それはつまり、想定外が発生したことを意味する。想定外・・・・・・責任逃れのこの表現を使いたくはないが、とにかく不可解だった。
「ね、ねえ・・・・・・なんかやばそうなことが起きたの? ・・・・・・あっ!」
「どうしましたか!」
「せ、制服が小さい」
さっきは焦っていてよく見ていなかったが、彼女の制服は、おそらく170cmくらいのサイズになっていた。不可思議、あまりにも不可思議だった。
「あ、あまり見られると恥ずかしい・・・・・・」
「あ、ごめんなさい」
僕はさっと目を逸らして再度コンピュータを確認する。しかし何度見ても設定は正しいし、実際本人以外は理論通りのふるまいを示しているのだ。
「・・・・・・わからない」
僕はかみしめるようにそう言った。
「わからない、何がおかしいのか、さっぱりわからない」
僕はせめてもの誠意の表れとして、彼女の手を取って謝罪する。
「ごめんなさい、もっとしっかり安全性を確認していれば・・・・・・」
「い、いや。頼んだの私だし、それに今は大丈夫だからさ」
「何か困ったことがありましたら、いつでも来てください。できる限りのケアはしますから」
「う、うん。ありがとう・・・・・・」
それから僕は制服を巨大化させて彼女に渡してから、女の子を玄関まで送った。185cmになった彼女は悠々と道を歩いていた。モデルをよく知らないけれど、とてもきれいに歩いていた。
1日で25cm伸ばした彼女を周りは最初心配していたが、次第に誰もがその異常な光景に慣れきってしまう。僕は理論の確認に奮闘していた。1度起きてしまった想定外、次に何が起こるかわからない。
「異常はありませんか?」
毎日のように彼女を家に招いては体の調子を尋ねた。不具合はできる限りサポートした。衣類を大きくしたり、食料を大きくしたり。
「うん、特にないよ」
問うたびに彼女はそういう。その顔は信じられないほど穏やかで、柔らかく微笑んでいる。そのあとで細かい悩みを教えてくれるものだが、先に述べたような、どうにでもなる問題だけだった。
「そうですか・・・・・・」
彼女に光線を照射して1週間が経った。彼女自身は、成長した体を喜んでいるようだった。それは僕にとって多少の救いではあったものの、原因は未だにわからない。
「じゃあ、今日はこれで」
「うん、毎日ありがとう」
「いえ、そんなこと」
彼女を玄関まで送る。頬を赤らめながらにこりとほほ笑み、手を振る。僕のメガネのセンサーが感知した。
「あれ? なんか、体温が高いですよ?」
「え? あー、言われてみれば・・・・・・ていうか、熱い」
僕は彼女を凝視する。体温の上昇、これは光線を照射し、成長するときに見られる反応だ。ぐぐっと、彼女の背が伸びた気がした。
「すみません、もう一回部屋に」
「きゃっ!」
彼女の手を取ったその時、巨大化する手が僕の手を振るほどき、彼女の顔がどんどん遠くなっていく。
やがて巨大化は止まる。家と同じくらいだから、目測5m。彼女はぽかんと、僕を見下ろしていた。
「・・・・・・はっ! きゃー」
咄嗟にしゃがみ込み、涙目で僕に僕に訴えかけた。僕は部屋に戻り、自分の服を6mの大きさまで巨大化させる。巨大化には時間がかかるから、再び彼女の前に姿を現した。彼女はまた、涙目で僕に訴えかけてきた。
「あの・・・・・・ごめんなさい。いま、服を用意しています・・・・・・」
「・・・・・・」
彼女は何も言わない。幸い、道には誰もいないが、いつ来るかはわからない。
「と、とりあえず庭へ」
無言のまま移動する彼女。手で体を隠しながら移動する。機械が終了し、僕は急いでそれを取りに行き、彼女に渡した。大きめだったが、機能はちゃんと果たしている。
「・・・・・・ごめんなさい」
服を着てしゃがみ込む彼女を前に、もう一度謝罪する。頭に大きな手が触れた。
「もう大丈夫」
「しばらくは、うちに泊まってください。大至急、解決策を考えます」
「え? えーと・・・・・・洋服とか、取ってきてもいい?」
「あ、はい。それはもちろん」
「学校はどうしよう?」
「僕は休むつもりです。学校に行くよりも、大事なことだと思うので」
「うん。じゃあ、私も休むね」
「ありがとうございます」
そうして僕らの共同研究が始まった。
学校を休んで研究に専念したところで、答えがすぐに出るわけではない。はっきり言って、何も進んでいない。最初は一日中僕の研究に付き合ってくれた彼女も、退屈するようになった。
「ちょっと、散歩してくるね」
「はい、お気をつけて」
5mというのは巨大なようでそこまで巨大ではなく、大体電柱くらいの高さだ。木と背比べができる、頑張れば家の中にも入れるとは思う。
彼女はお昼くらいに家を出て、夕方くらいに帰ってくる。かえって来ると、土産話を聞かせてくれた。
「今日はね、工事現場のお手伝いをしたの?」
「そうですか。大変でしたか?」
「まあまあ。でも、体動かすの、嫌いじゃないから。鉄骨を運んだり、作業員さんを運んだりしたの」
そう言いながら彼女は、身振りを付けその様子を説明してくれる。体を動かすたびに、洋服の大きさが変わる。新しい発明、伸びる服。1部を伸ばすと全部が伸びる、彼女のために作られた洋服だ。
「言ってなかったけど、昨日は幼稚園くらいの子に、木に引っかかった風船をとって上げた」
「いいですね。適材適所って感じで」
僕は相槌を打ちながら、紙に書きなぐっては考える。もっとも、考えても何もわからないのだが。スランプが続くと、どうして自分はこんなことをしているのかという疑問がわいてきてしまう。はて、僕はなんでこんな研究を始めたんだっけか?
「・・・・・・ねえ、博士」
「はい?」
博士、そう呼ばれるのはあまり好きではないけれども、今は関係ない。
「王子様のキスが眠りを眠りを覚ますって、あるじゃないですか」
「ああ、シンデレラの」
「あれって、現実的だと思いますか?」
僕は作業をピタリと止める。キスと生命現象の相関。いや、キス自体が生命現象か。その現象の役割が特異すぎてよくわからないものの。
「よくわかりませんが、なくはないかと・・・・・・何か、心当たりがあるんですか?」
「うーん・・・・・・うん」
「それは、どんなことですか?」
僕は身を乗り出して彼女に近寄る。一言も聞き漏らさぬように。彼女は目を閉じて、しんみりとした調子で話し始めた。
「・・・・・・今思えば、あなたの言う理論から外れて大きくなった時って、ちょっと精神が辛い時でした」
「なるほど・・・・・・」
「はい、だから。気持ちがうまく伝わらなくてもどかしい時。はっきり言えばいいのに、うまくできない自分に嫌になっていたんです」
「それは・・・・・・」
キスと生命現象。キスによる感情変異と生命現象。感情とは不可解なもので、他の生物でうまくいったことが人間ではうまくいかないということはざらにある。この難問も、そんな類のものなのかもしれない。難問はもちろん難問であり、解けない苛立たしさから僕は逃避してきた。
「つまり、恋をしていたと」
彼女はぽっと顔を赤らめ、小さくうなずく。初心に返り、再び難問の海に身を投じよう。それが、僕のやりたいことだったのだから。
「そ、そのお相手は? その人と合わせて反応を見れば、何かがわかるかも・・・・・・」
彼女は赤ちゃんを抱えるように両手で僕を持ち上げる。2、3倍の身長が備える唇が僕の顔の半分を覆いつくした。
「きゃっ!」
白く光を発した彼女の体。なるほど、過剰なエネルギーを発散させるために起こる現象か。光線を当てて変化した体が元に戻るとき、被験体は光線を発するというわけか。
小さくなっていく彼女の大きな影はやがて人並みになり、僕は自然と地面に着地する。小さくなっていく白い光はやがてその光度を下げて、彼女は元の姿になった。
「・・・・・・あれ、戻った?」
「・・・・・・はい、戻ったようです」
「そうかあ・・・・・・ん?」
彼女は僕を見上げながら手をあげる。不可解、相も変わらず不可解な可逆現象だ。
「・・・・・・なんか、後藤君大きい」
「斎藤さんが、小さいんですよ」
「ふーん。後藤君て、何センチ?」
「150くらいです。斎藤さんは、139.1cmみたいです」
「ふーん」
斎藤さんは一歩前に出て、僕に抱きつく。有名な仕草、彼女の体温がわずかに上昇した。なるほど、嫌いじゃない。
「斎藤さんは、こういうの好きなんですか?」
「うーん・・・・・・」
その格好のまましばらく考え込み、答えを出す。
「うん、嫌いじゃない」
辛い時は大きくなり、楽しい時は小さくなる。調査の結果わかったことは、こんなところだった。辛さと楽しさの基準はよくわからないし、もしかしたらそんなものはなく、常に変わりうるものなのかもしれない。
しばらくは色々調べていたけれど、結局よくわからないし、短期間でできることでもないと思う。本当にすごい発見には、発見にも解釈に膨大な時間がかかるものだ。僕らは学校に復帰することにした。学校に通いながら、ゆっくりと一緒に考えていくことにした。
「んー、なんかこの格好、恥ずかしい・・・・・・」
「まあまあ、すぐ慣れるよ。というより、185cmになった時はそうでもなかったの?」
「あの時はまあ、色々吹っ切れていたからさ」
「じゃあ、今も吹っ切れてみたら?」
「うーん・・・・・・」
以前のように、彼女は僕に抱きつく。これでどうして吹っ切れられるのかはよくわからないけれど、理由が曖昧というのも、ある意味では感情現象の1つの特徴だ。彼女の体温は以前よりももっと上昇していた。どうやら環境にも依存するらしい。
「あー、美子ちゃん今日はちっちゃーい!」
友人の声を聞くなり斎藤さんは僕から離れる。邪魔したら申し訳ない、僕はそそくさとその場から離れる。
「かわいいー! ちっちゃい美子ちゃんかわいすぎー」
「ちょ、ちょっと・・・・・・」
ピピピッ、センサーが警告音を発する。体温上昇、僕は勢いよく後ろを振り向いた。
「きゃあ!」
同級生の女子生徒に囲まれていた制服姿の彼女の顔が、僕の方からよく見えた。胸から上が飛び出て、周囲の女子の頭上に制服のタイが乗ってしまうくらいの身長差。測定結果、201.8cmと表示される。
「えーと・・・・・・」
僕の方をじっと見てくる彼女。感情とは不可解なものであり、僕はそんな不思議で魅力的な感情に興味を抱いて研究を始めたのだった。
彼女の表情は一見冷静なようで、よくよく観察すれば様々な感情が湧いては消えていく。助けてよ、そんな物言いたげな彼女を見て僕は小さく微笑み、彼女の元へと向かった。向かったところでできることなんてないのに、僕はそちらへと向かった。研究の始まりだ。
-FIN