宮本淳の話

「昇さんはバスケとかやっていないんですか?」
「中学、高校生の時はやっていたよ。大会に出たこともある」
「きゃー! かっこいいですー!」
「あはは、ありがとう」
 ……助手席に座る紗也と昇さんが、楽しげに談話している。僕は後ろの席で綾子さんの隣で、スマホを弄りながら2人の会話を聞いていた。……ああ、今朝まで、いやさっきまで僕にべったりだった昨日の紗也はどこに行ってしまったのだろうか。最初は僕が助手席に座って昇さんと話していたのに、サービスエリアで休憩した時から急に紗也と昇さんの距離が近くなって、気が付けば席も奪われていた。
 ……結局、女は長身イケメンが好きということなのだろうか。紗也の楽しそうな声を聞いていて、昨日の僕との再会よりもテンションの高い彼女を見ていて、悲しさと虚しさと情けなさが入り交じったため息が出てくる。……しかし同時に、今の状況に興奮している自分もいる。今の僕の右隣には綾子さんがいる。綾子さんも220cmの紗也と同じくらい背が高い女性だ。200cm超の女性2人に囲まれて、僕は無意識に下半身を膨張させてしまい、それを女性陣に気づかれないように、なんとか取り繕っている。しかし性欲は正直で、なかなか言うことを聞いてくれない。むしろこんな状況で正気でいろと言う方が無理があるのだ。
 紗也と綾子さんはとにかく目立った。190cmの昇さんでさえ目立つのに、彼より30cmも背が高く、大抵のドアをくぐって抜ける彼女たちが目立たないわけがない。大きなワンボックスカーであっても2人は窮屈そうに背中を曲げて座っている。サービスエリアに到着した時、紗也は気持ち良さそうに背伸びして周りの注目を集めた。綾子さんもそこにいるだけで人々の目を引いた。こんな魅力的な女性に囲まれている僕はとても幸せものだと考えなおし、紗也の尻軽さに対する苛立ちや悲しさを忘れようとした。
 4時間ほど車に揺られて、僕らは周囲が田畑に囲まれた自然豊かなところに到着した。せっかく帰省したのに僕の大学よりも田舎に来るというのは何だか妙な感じがしたが、これからの数日間が楽しみで胸がいっぱいになる。
 車を止めて僕らは駐車場から宿まで少し歩いた。僕は小人だから、早歩きをして周りにペースを合わせた。宿、と思っていたところは大きなお屋敷で、昇さんがインターホンを鳴らす。少しして、和服姿の背の高い女性が僕らのところまでやってきた。
「ようこそいらっしゃい、昇ちゃん。綾子ちゃんも。……あらー綾子ちゃん、また背が伸びたんじゃない。あと、そちらが聞いていた」
「はい、宮本さんです。お兄さんと、妹さん」
「お兄さん?」
 女性は首を水平に動かしてから、下の方を見て僕と目を合わす。
「あら、こんにちは、はじめまして。こんな田舎まで、ようおいでくださいました。ささ、どうぞくつろいでください」
 昇さんと同じくらい背の高い女性に、僕らは案内される。昇さんが言っていた八尺家とはこの家のことだろうか。……確かに大きいお屋敷だった。庶民の僕がこんなところに泊っていいのかと、気が引けてしまう。こんなお屋敷を持っている家なら、きっと山や畑もこの家の土地なんだろうと卑しい予想をしてしまった。
 部屋は男性陣と女性陣に分かれたフロアになっているようで、僕は昇さんと一緒のフロアになり、それぞれに個室が与えられた。昇さんに部屋を案内してもらう。2人部屋と言われても広く感じるくらいの部屋を自分1人で使っていいと言われて、僕は身がすくんでしまった。緊張する僕を見て、昇さんが笑った。
「びっくりした? 梨緒ちゃんの実家、すごいでしょ」
「は、はい……」
「淳くんは、いま大学何年生だっけ?」
「1年です。今度の4月からは、2年生」
「じゃあ、僕の4つくらい下かな。僕は社会人2年目だよ、24歳」
「そうなんですね。先輩、この度は誘っていただきありがとうございます!」
「ハハッ! そう畏まらないでよ。僕も淳くんと紗也ちゃんが来てくれて嬉しいから」
 僕はいつもの営業用フェイスで昇さんと話す。人見知りの僕は、初対面の人にはいつもこういう風に接してしまう。昇さんは僕よりもずっとフランクな人だから、どうも苦手だ。
 ……話題が無くなり、気まずい沈黙が流れる。昇さんがそれを埋めようと口を開いたその瞬間、部屋がノックされた。……なんとなく、誰が来たのかがわかった気がした。そして次の瞬間、その直感が正しいことが分かった。
「昇さん! 一緒にお散歩でもしませんか? このあたりのこと、色々教えてください!」
「ああ、いいけど。そうだ、淳くんもどうかな?」
「いえ、僕は1人で回りたいので。写真が趣味なので、ここらの風景をゆっくり撮影したいですし。どうぞ、紗也と一緒に行ってください」
「そっかー。まあ、何かあったら電話してね」
「はい! お気遣いありがとうございます」
 ニコニコと作り笑いを浮かべて、僕は答える。紗也のきつい眼差しが僕の横目に刺さる。昇さんは振り返って紗也を見上げた。その瞬間、紗也の顔が人懐っこい笑顔に変貌する。
「じゃあ、行こうか」
「はい! 行きましょう!」
 紗也は昇さんの手を掴み、一緒に去っていく。……僕を一瞥することすらせず、満面の笑顔で昇さんとお散歩にでかけた。広い部屋に僕1人が残され、静寂が僕を包み込んだ。
 僕はゆっくり立ち上がり、部屋の鍵を締めて、かばんの中からカメラを取り出す。昨日慌てて買った10万円くらいするデジタルカメラ。僕の目的はただ1つ、長身女性の写真をできるだけ多く撮ることだ。最初は紗也の写真をオカズ用に撮ろうと思っていた。しかし今は別の目的ができた。さっき車で走っている時、果樹園で脚立を使わずに腰を曲げて果樹の採取をする女の子を見つけてしまった。あの木がどれくらい高いかは知らないし、見間違いかもしれないが、少なくとも200cmはあるだろうと僕は予想した。
 仮に彼女の存在が僕の勘違いであったとしても、ここにはさっきの使用人の女性みたいにここには背の高い女性がたくさんいるらしい。都会であってもめったに見ることのできない190cm以上の女性に、今日だけで2人も出会ってしまったのだ。僕はカメラを首から下げてリュックサックを背負い、部屋からそっと出ていく。別にこそこそする理由はないが、できれば誰にも捕まることなく自由に行動したいと思いそうした。
 ゆっくりと玄関まで歩き、それから僕はスマホで地図を確認しながら先程の果樹園まで走り出した。急ぐ理由はないのに、足が自然と小走りになった。あの女の子はどれくらい背が高いのだろうかと気になって気になって仕方がない。初めて来る場所で土地勘がないが、僕は車で来た道の逆方向に向かってとにかく走った。御屋敷から遠ざかるにつれて僕が目指していた果樹園がはっきりと見えてきて、僕は一層速度を上げてそこを目指した。
「あの子だ!」
 彼女を見つけた時、僕は胸が痛くなるのを感じた。シャツと、ワンピースのようなモンペを着た少女。しかしその身長は、地面に足をつけた状態でも、木に匹敵するくらい大きくて、そんな彼女を見て胸がバクバクと激しく鼓動する。
 もっと近くで見たい……僕はそう思った。しかし、私有地に勝手に足を踏み入れるわけにはいかない。1人でこっそりと出てきたことに早くも後悔していた。八尺家はこの辺りでは有力な家であると聞いている。その家の人と一緒に来ていれば、この果樹園に入ることもできたんじゃないかと予想し、僕は心の中で舌打ちした。
 仕方なく、僕はカメラのズーム機能を使って彼女をよく見ることにする。彼女に向かってカメラを構えて、ズームする。値段が高いだけあって、ズームしても彼女の姿がくっきりと良く見えた。むすっとした表情で淡々と、りんごを採取している。具体的な身長が知りたいものだが、比較対象がない。僕はスマホでリンゴの木の高さについて調べるが、種類が豊富すぎて素人の僕にはよくわからず、ため息をついた。
「あのー、うちの果樹園に、ご用ですか?」
 後ろから声をかけられて、冷や汗が流れるのを感じた。
 女の子に向かってカメラを構える今の僕の姿はまさに不審者。僕は恐る恐る後ろを振り返る。そこには、150cmの僕と同じくらいの背丈の、同じくらいの歳の優しそうな男が立っていて、僕は少し気が楽になった。
「いえ、立派な果樹園なので、記念に撮影してしまいました。自分、東京から来たんです。こういう風景、珍しくて」
「遠いところから、ようこそいらっしゃいました。うちの果樹園なんです、そう言ってもらえて嬉しいです。ここらに宿はありませんが、どこかの民家に泊まっているんでしょうか?」
「はい、八尺さんのところにお邪魔になっています。僕の妹の先輩の従妹が八尺家の人とのことで」
 その瞬間、男の表情がぱっと明るくなって、深々と頭を下げてきた。
「ああ、八尺さんの御親戚でしたか! 私、この土地で農家をしております高野優希と申します」
 急に丁寧にあいさつをされて僕は戸惑うと同時に、この状況を利用できると考えた。こんなにでかい果樹園を持っているこの家もそれなりに大きいと思うが、八尺家はそれ以上に影響力が大きいらしい。僕は笑顔を作りながら、その裏で彼女に近づく方法を必死に考えた。
「高野さんですか、僕は宮本淳と申します。それにしても立派な果樹園ですね。お手入れとか、大変じゃないですか?」
「はい、それはそれは大変です。スタッフの方に手伝ってもらって、やっと成り立っております」
「そうですよね。ちなみにスタッフとは、あの女性ですか?」
 僕は彼女の方を指さす。高野さんは笑顔で大きく頷いた。
「はい、そうです。彼女は最近いらしてくれたスタッフで、前山智子さんといいますが、彼女に手伝ってもらって、とても助かっています。私たちよりも効率よく、果樹を採取してくれますから?」
「効率よく? それは、どういうことですか?」
 質問しながら僕は下半身が暖かくなるのに気が付き、それを隠す。高野さんは優しそうに微笑んだ。
「智子さんは、身長がとても高いんです。270cmくらいあったと思います」
「に、270ですか?」
 僕は思わず声を上げる。200cmあることは想定していたが、まさかそんなギネス級だとは思っていなかった。高野さんは僕の声に一瞬驚いてから、また元の優しそうな微笑を浮かべる。その笑顔を前にして、僕の中の黒い感情が、僕の制止を振り切って表に出てきた。
「あの、もしよければその智子さんの写真を撮らせてもらっても良いでしょうか?」
 高野さんがきょとんとする。あまりに唐突で失礼だったと反省する一方で、願望の実現をひたすらに祈っている僕も確かにそこにいた。高野さんは少し考えてから、笑顔で首を縦に振ってくれた。僕は失神しそうなくらいに興奮していた。
 高野さんと一緒に、智子さんの方に向かって歩く。近づくにつれて、果樹の大きさと、それが小さく見えるほどの智子さんの大きさを実感して、胸がどきどきしてくる。彼女が目の前に来た時、彼女は相変わらずむすっとした表情で僕らを大きく見下ろした。
「智子さん、今いいですか? こちら、八尺さんのご親戚の方です。智子さんの写真を撮りたいそうですが、今は大丈夫ですか?」
 彼女は不思議そうに首を傾げてから曖昧に頷く。籠を下において、前で手を組んで僕をまっすぐ見下ろす。僕は慌ててカメラを構えてから、距離を取ってその巨大さが良くわかるような構図を考える。
「あの、もしよければ高野さんも一緒にいいですか?」
 高野さんは言われるままに、智子さんの隣に立つ。智子さんの表情がさらに硬くなったような気がした。150cmくらいの高野さんと、270cmあるという智子さん。智子さんの腰の位置に、高野さんの頭がある。まさに、2倍くらいの身長差だ。
 シャッターを下ろそうとしたとき、誰かの手が智子さんの後ろから伸びてきて、智子さんのお腹にそれが抱き着いた。僕はチャンスは逃すまいと即座にシャッターを数回下ろした。
 智子さんが後ろを振り返ると、それが正体を現す。智子さんよりも頭2つほど小さいが、高野さんよりも頭3つほど大きい、推定200cm超の超高身長女性が、また現れた。大体、紗也と同じくらいだろうかと僕は予想する。
「あ、梨緒ちゃん。また抜け出してきたの?」
「うん! だって部屋で勉強していても退屈しちゃうから、気分転換!」
 僕はすかさず再びシャッターを下ろす。何枚も撮影する。270cmの少女と、200cm以上は確実の長身女性と、150cmの高野さんを同時に撮影できるチャンスなんて人生で今しかないと思うと、自然に体が動いてしまった。何回も写真を撮影していたら、一度智子さんにちらりと睨まれて背筋がぞっと冷たくなったが、それでもやめることができなかった。
「じゃあ、僕は宮本さんを送っていきます。智子さん、ありがとうございました」
「え? あの優希さん! ……その、今日はお暇なんですか?」
「まあ、特別忙しいわけではありませんけど……」
「それじゃあ、帰ったらお話くらい……って、へへへ! 梨緒ちゃんちょっとやめて」
「ねーねー智子ちゃん何してるの。あ、お仕事中なんだっけ? 私も手伝うよ!」
 智子さんをくすぐる梨緒という少女。2人の少女のほのぼのした所作であるが、どちらも200cmを軽く超える巨人でありその迫力はなんとも言えないものがある。そんな2人を呆然と眺めていると、高野さんが僕の肩を優しく叩いて、そこで僕は我に返った。
「八尺さんの家まで車で送ります。徒歩では厳しかったでしょう」
 僕は高野さんについていき、車に乗って家まで送ってもらった。僕らが車に乗るころには、例の2人は仲良く作業をしているようだった。その様子も撮影した。
「八尺さんの親戚と伺いましたが、梨緒さんには、まだ会っていないんですか?」
 高野さんは相変わらず優しい笑顔を浮かべて、バックミラー越しに僕の顔を見てくる。僕はこくこくと頷く。
「はい。妹の付き添いで来たので、梨緒さんという人も良く知りません」
「そうですか。梨緒さんは八尺家の跡取りなんです。つまり、地位の高い人です。まだ14歳ですけど」
「14歳ってことは……えっ、中学生ですか! あんなに身長高いのに」
「はい、そうです。身長は確か、220cmと聞いています。もう少しでお母さまと並ぶかもしれません。お母さまは242cmです」
 242、という数字を聞いて僕はピンときた。尺貫法で8尺の長さがそれくらいだったと思う。そして、名字にも八尺とある。これは偶然の一致なのか、僕は高野さんに質問してみた。
「あの、八尺家ってどういう家なんですか?」
「宗家です、舞が専門の。ヤタケって、漢字で八尺と書きますが、八尺は尺貫法で長さ242cmのことです。それくらい背の高い人が、しかも女性が舞をするととても神秘的なものになります。それで、八尺という名字が与えられて、今に伝わっていると聞いています」
 僕はこくこくと頷きながら、高野のお話を聞いていた。そんなにすごい家に来てしまったことに辟易し、同時に興奮していた。今日だけで僕は3人もギネス級の長身女性に会ってしまった。5日もいたら、どうなってしまうのかと僕は胸を躍らせる。
「ところで宮本さん。妹さんの先輩が、八尺家に関係のある人と聞きましたが、差し支えなければお名前を教えてもらえますか?」
「は、はい!」
 僕は慌てて、綾子さんのフルネームを思い出す。
「えーと、村田さんです。村田綾子さんと、村田昇さんですね」
「村田綾子、昇……あ! 把握いたしました。おそらく梨緒さんの従姉妹ですね」
「え、そうだったんですか!」
 その情報に僕は純粋に驚き、同時にリオという名前を今朝、昇さんが言っていたことを、思い出した。さっきの子が梨緒ちゃん……あの子と仲良くなれば270cmの智子さんともお近づきになれないかなと思わず考えてしまう。
「はい。おそらくお母さまが村田真緒さん、旧姓八尺真緒さんと思われます。八尺家の近縁です」
「なるほど、そうだったんですね……」
 思いがけない関係を知って感心しつつ、そんな家柄の人を妹の親しい先輩に持った僕は、きっとこの先もさっきの少女に会えると思うと興奮した。……しかし同時に、さっき270cmの智子さんを見てしまった今では、紗也くらいの長身の女性では満足できないと感じる自分もいた。
 ……さっき、1つの関係が終わった。紗也という理想の長身女性を失ってしまった。しかし捨てる神あれば拾う神あり。新しく開かれた人脈が、僕の人生を豊かにしてくれる予感がした。
「ここですよね?」高野さんの声でハッとして、僕はドアの外を見回す。泊っているお屋敷であることを確認してから、僕は高野さんに向かって思い切り首を縦に振った。
「はい、ありがとうございます!」
「いえいえ。では、僕はこれで」
「あの!」僕は最後に尋ねてみた。「LINEとか、連絡先交換しませんか? せっかくの出会いですから。何となく、高野さんとは気が合うと思うんです」
 最初は、断られるのではないかと思った。そうでなくてもしぶしぶ交換してくれるものだと思った。しかし意外にも、高野さんは優しい笑顔を浮かべてあっさりと承諾してくれた。
「はい、是非! こちらこそ、よろしくお願いします」
 むしろ、高野さんの方が積極的になってくれた。僕はなんとなく嬉しくなった。フェチとして人脈が作れたことに対しても、また普通に友人ができたことに対しても。
 LINEを交換して、僕は車から降りて部屋に戻る。高野さんの車が、来た方向を戻っていった。ちょうど昇さんたちも戻って来たらしく、家の前に車が置いてあった。僕は、さっき始まったばかりのこの町での生活に期待し、胸を躍らせながら、屋敷に入っていった。