沙織ちゃん
小学六年生女子の平均身長は一四五センチメートルであると言われている。沙織ちゃんは小学校入学時点で一四六センチメートルあった。
つまり、沙織ちゃんは一年生ですでに全国の六年生の半数よりも大きかったということになる。実際、登校班や遠足、運動会などで六年生と交流する時、付き添いの六年生よりも沙織ちゃんの方が大きいというのはしばしばあった。ちなみに二番目に背の高かった子、それは男の子だったが、は一二三センチメートルと、沙織ちゃんの肩くらいしかなかった。そのため背の順で並ぶと沙織ちゃんは一番後ろで前の子たちよりも肩から上が飛び出た状態で立つことになりよく目立った。
成長の早い子はすぐに伸びなくなる、と世間では言われる。しかし沙織ちゃんは小学校に入学してからもすくすくと、むしろ他の子よりもよく背を伸ばしていった。おおよそ年に八センチメートルのペースで大きくなり、四年生で一七〇センチメートルを突破し大人の男性でも大きいほどになった。登下校時に通学路を見守るおじさんよりも大きいのが普通になった。六年生の一学期の測定で一八七・三センチメートルになった。保健室で測定がされた時、そこにいた誰もが注目し、そして数値がわかった時、先生も含めてみんなが驚いた。声に出したり出さなかったりは様々であったが、誰もが驚いた。そして、様々な感想を抱き、中には口に出す子もいた。羨ましがる子、モデルになれると言う子がいる一方で、大きすぎて怖いとか、女じゃないなんて言う子もいた。
沙織ちゃんは、測定結果を聞くなり笑顔が抑えきれない様子で口元を抑えて、そそくさと列に戻り隣の友達に発育カードを見せた。
「九センチ伸びたよ!」
「すごーい!」
女子同士できゃっきゃと騒ぎ、保健室の先生に注意されて黙り込む。しかし興奮を抑えられない様子で、沙織ちゃんは小声でおしゃべりを続けた。
「どこまで伸びるかな?」
「目指せ二メートル!」
「いけるかなぁ?いけたらなんかすごいよね」
注意してもおしゃべりを続ける。これはいつもの光景であり、先生もそれ以上咎めようとはしかなかった。
沙織ちゃんは自分の背が高いことを誇りに思っていた。小学生にして一九〇近い長身となってもそれは変わらなかった。ランドセルを背負って街を歩けば名も知らない通行人に怪訝な表情をされることは日常茶飯事であったが、沙織ちゃんは適当に受け流した。背が高いというだけで中身は普通の小学生なのだが、昔から同級生も含めて周囲からどこか特別に扱われることが多かった。電車に子供料金で乗れなかったり、服の採寸時に店員に怪訝な表情をされたり、大人の人に怖がられたり、様々だ。沙織ちゃんはそんな時、どこか嫌な気持ちになることもあったが、沙織ちゃんはうまくやっていた。
日常生活で不便なこともよくあった。例えばトイレが小さいというのはかなり困ることであったが、それでも良いことの方が多いと考えて、沙織ちゃんは自分の長身を自慢に思った。
沙織ちゃんはそんな女の子であった。
沙織ちゃんの毎日は至って年相応で普通だ。背が高いことによる弊害を抜けば。
朝起きて顔を洗い、リビングで朝食を食べる。その間に、頭を鴨居にぶつけたり、長い腕や脚をどこかにぶつけたりすることはある。また、洗面所も沙織ちゃんには低すぎるため、キリンが水を飲むように、脚を広げることで腰を傷めずに口の位置を下げて使うのが普通だった。ちなみに、沙織ちゃんの両親は平均よりやや高いくらいであり、そのため家が他よりも大きく作られているということはない。平均的な家に、平均より四十センチメートルも大きい女の子が住むとこうなってしまうのである。
朝食の量も、背の高さに比例して多い。パンで換算すれば、毎朝一斤ほど食べる。朝からそれだけというのは成人男性でも多いくらいの量であるが、給食の時間がやってくる頃には空腹になっており、大盛の給食を平らげておかわりまでするのが彼女の日常であった。
朝食を済ませると、沙織ちゃんは連絡帳を開いて今日の時間割を確認して、教科書をランドセルに入れたり出したりしてから、それを背負う。ランドセルの調節ベルトは最長まで伸びている。なお、その最長の穴は最初からあったわけではなく、足りなくなった際にお父さんに頼んでキリで開けてもらったものだ。しかしベルトが長くなってもランドセル自体のサイズは変わらないため、沙織ちゃんは窮屈に感じていた。
玄関のドア開けて、やや屈んだ状態で外に出る。家のドアの高さはちょうど二〇〇センチメートルあるので頭をぶつける心配はないが、ドアノブが低いためにそうする必要があった。
いつもの通学路を通り、沙織ちゃんは学校に到着する。二十九センチメートルの外履きを脱いでから、屈んで上履きを取り出す。上履きを入れるところ名前順に配置されており、沙織ちゃんの位置は一番上である。しかし下駄箱自体の高さが一四〇センチメートルしかないので、一番上の箱といっても沙織ちゃんの胸よりも下にある。さらに、奥行きが足りないため、沙織ちゃんの靴だけいつも三センチほどはみ出して収納されていた。
六年生の教室は三階にあるため階段を上る。腕白な少年少女はよく『二段飛ばし』をするものだが、沙織ちゃんは普通に上るときは基本二段飛ばしをする。緊張しているときは一段一段上る時もあるが、テンションが上がっている時は三段、四段飛ばしで上ることもよくあった。
教室に入ると友達に「おはよう」と言われて、沙織ちゃんもそれらに返事をして、自分の席に向かう。沙織ちゃんの席はいつでも、一年生の時から一番後ろであった。理由は言わずもがな、前になると後ろの子から黒板が見えないと言われるからである。
沙織ちゃんは椅子の後ろに立つと、まずランドセルを窮屈そうに肩から降ろして机の上に置く。それから椅子を引き、横向きになって椅子に腰かける。沙織ちゃんの机は他の子よりも大きい、中学校でも使われている一番大きいサイズの学校机である。給食などで机をつなげると沙織ちゃんのところだけ十センチほどの段差が出来上がってしまうくらいであったが、それでも沙織ちゃんにとっては小さい机であった。
脚を完全に机の下に入れてしまうと立ち上がるときに大変なので横向きに座る。書道の時間などで、きちんと座りなさいと言われればしぶしぶそうするのだが、沙織ちゃんのふとももは膝頭が机からはみ出してしまうほど長く、また脚を伸ばさないと収まらないためどうしても前の子にぶつかってしまう。そして一度座ると、立ち上がる際に脚が中々抜けず苦労するのだった。
休み時間は基本的に教室で友達と過ごす。校庭で遊ぶ時もあれば、今日のように教室でおしゃべりをすることもあった。話題は、昨日のテレビの話だったり芸能人の噂だったり、おしゃれだったり好きな男子のことだったり女の子の体の話だったりと、年頃の少女らしく多岐にわたっていた。
おしゃべりに熱中している時、ふっと日直の男の子が目に入り、彼が掲示物を掲示板に張っているのに気が付いた。一四〇センチメートルくらいのやや小柄な男子で、椅子の上に立って一番高いところにプリントを画鋲で留めようとしている。背が足りず、背伸びをしても届かなかったが、何とか貼り付けようとしていた。
沙織ちゃんは椅子からすっと立ち上がって彼に近寄る。椅子の上で背伸びした男子と沙織ちゃんは同じくらいの背の高さだった。沙織ちゃんは彼の顔を横から覗き込んで話しかける
「ねえ、手伝うよ」
「いや、いいよ。僕のやることだもん」
彼はすぐさま断った。日直の仕事とは言っても、掲示板の一番上に貼り付けろと先生には言われていない。それは、彼がそうしたいからやっているに過ぎない。そういう、こだわりのある強情な少年だった。
沙織ちゃんは手を上げて、彼からプリントを取ろうとした。
「ねえ、貸して」
「いやだ」
「だって、危ないじゃん。イスから落ちたらどうするの?」
沙織ちゃんはより強引にプリントを取ろうとした。男の子は抵抗したが、その瞬間に彼の重心がずれる。沙織ちゃんは腕を伸ばして彼を抱え込むように支えた。男の子はぎょっとし、振りほどこうとしたが沙織ちゃんの力には敵わず、しぶしぶ諦めた。なお、沙織ちゃんは力を入れて彼を抱きしめた訳ではなく、むしろ優しく、ほとんど力を入れずに抱え込んだだけだった。
「ほら、危ない」
「お前が押すから」
「見ていて危なそうだったもん」
沙織ちゃんはプリントをすっと取り、掲示板の上まで持ってきて、右手でプリントを抑える。B5サイズの紙が、沙織ちゃんの手でほとんど隠れてしまう。
「ねえ、画鋲ちょうだい」
男の子は黙って画鋲を4つ、沙織ちゃんの手の皿の中に入れた。沙織ちゃんは大きな指で器用に画鋲を一つずつつまみ、プリントを貼り付ける。
「……ありがとう」
「ううん、別に」
少年は椅子からゆっくり降りて、沙織ちゃんはすぐさま友達の元へと戻った。友達は、にやにやしながら沙織ちゃんに小声で言った。
「ねえ、好きなの?」
「え?別に……友達としてなら、好きかもだけど」
沙織ちゃんは頬をやや赤らめて答える。実際、恋愛として好きとか嫌いとかいう感情が沙織ちゃんにはまだわからなかった。ただ、困っている友達がいたから助けただけにすぎない。
話題がさっきの男子から変わり、おしゃべりが続く。休み時間の終わりのチャイムまで、他愛もない話で少女らは盛り上がった。
春が来たかと思えば、あっという間に気温が上がり夏になる。始業式を迎えて六年生になったと思えば、気が付けば終業式を迎えていた。四〇日間にわたる夏休みが始まった。といっても、沙織ちゃんにとっては何もないただの休日である。毎日ぐっすりよく寝て、ゲームをしたり家事をお手伝いしたりプールに行ったり図書館に行ったり、お母さんに言われて宿題をやったり、平和に自由気ままに過ごしていた。帰省とか旅行とかも今年はなかったので、沙織ちゃんは毎日退屈しのぎを探して、適当に過ごしていた。
お盆を明け、夏休みがそろそろ終盤に差し掛かるころ、沙織ちゃんは友達と遊園地に行くことになった。沙織ちゃんは前の日からわくわくで、いつもは布団に入るとすぐに寝てしまう彼女もその日は中々寝付くことができなかった。遊園地で何に乗ろうかとか、どんな洋服を着て行こうかなんて考えながら、沙織ちゃんは夢の世界に入っていった。
そして待ちに待った当日、沙織ちゃんはいつもより少し早い時刻に目が覚めた。いつもなら布団でしばらくだらだら過ごすが、その日はすっと起き上がり、眠い目をこすりながら顔を洗ったり、お母さんが作った朝食を食べたりした
「今日は大丈夫そう?」お母さんが尋ねる。沙織ちゃんはご飯を口にほおばりながら、こくんこくんと頷く。
現地集合であるが、沙織ちゃんは一人で電車に乗って遊園地まで向かう必要があった。本当は両親がついてきてくれる予定だったが、どちらも都合が悪くなってしまった。お父さんはすでに出かけており、お母さんは沙織ちゃんが駅に向かう前に出かけてしまう。
「そう、もう六年生だもんね。運賃は、大人料金でいいからね」
「うん、わかった……」
沙織ちゃんはまた、こくんとうなずく。お母さんはそれを見てにこっと微笑んだが、沙織ちゃんは内心不安であった。一人で電車に乗ったことは数えられるくらいしかないし、そもそも電車には良い思い出がなかった。小学生料金で乗車するとたびたび駅員に止められ、その度にお父さんかお母さんが身分証明書を出して説得した。それが面倒な時は、大人料金で乗ってしまうこともよくあった。
沙織ちゃんは出かける時間まで、外に着ていく服を選ぶ。いつもはメンズの大きいサイズばかりを着ていて、地味なものばかりだ。しかし何着か、お父さんに頼んで特注してもらったものがある。友達が着ているようなワンピースやスカートを、沙織ちゃんのサイズで作ってもらった。そんなとっておきの服を着て、組み合わせて、姿見でコーデを確認する。サイズが少し窮屈に感じて、沙織ちゃんはショックを受けた。それでも、できるところまでおしゃれしようと頑張った。
シャツとスカートの色をうまく組み合わせてみたり、ワンピースにボレロを合わせてみたりする。しかし、沙織ちゃんはなんとなくしっくりこないと感じた。友達と同じものを自分が着ても、なんだかアンバランスな感じがしてしまう。これは沙織ちゃんにとって初めてのことではなかった。背が高いと、スタイルがいいとみんなから言われる。しかし、自分の着たい服が似合うわけではない。そもそもサイズが限られてしまうので、選ぶこともできない。いつか、自分が好きな服を見つけたい。そのために、沙織ちゃんはファッションデザイナーになりたいと思っていた。これは、まだ誰にも話したことのない彼女の夢だった。
コーデを決めて、髪をさっと結んで、ショルダーバッグを開けて忘れ物がないか、今日何度したかわからない確認を再度する。そして、時間に余裕をもって沙織ちゃんは外に出た。お盆明けということもあって、人は少なめである。沙織ちゃんは緊張しながら駅に向かい、ショルダーバッグからパスケースを取り出して、やや腰を曲げてタッチする。大人料金の入場料が表示される。なんとなく損した気になるが、ピヨピヨと子供が通ったことを周囲にアピールされるよりは気が楽だと沙織ちゃんは感じた。
乗る電車が、上り電車か下り電車かを確認してから階段を乗り降りしてホームに向かう。二十九センチメートルの靴にとって、階段の奥行きは狭く、慣れない階段は慎重になる必要があった。沙織ちゃんは足元を見ながら、同時に前にも注意しながらホームを目指した。十分ほど待って電車が到着する。沙織ちゃんは頭を大きく下げて、ドアに頭をぶつけないようにして乗り込む。四年生の後半くらいから沙織ちゃんは電車に乗るときはくぐるのが当たり前になっていた。社内はやや混んでいて、沙織ちゃんは立って顔よりも低いつり革を両手で掴む。背が高いと重心が高いため、平均身長の人よりも揺れやすいというのを沙織ちゃんは知っていた。しかし、気を付けていても発進時や減速の時はどうしても揺れてしまう。隣でスマホをいじっていた、顎くらいの背の高さのお兄さんに軽くぶつかってしまった。お兄さんはぎょっとして、それから怪訝な表情で沙織ちゃんを見上げて会釈する。沙織ちゃんはなんとなく気まずい思いで背中を丸めてお兄さんと目を合わせられずに頭を下げた。
これまで書いてきたように、沙織ちゃんは背が高いというだけで中身は普通の小学生だ。一人でのお出かけは心細いし、知らない大人の人は怖い。しかし、身長が高いというだけで同級生からも大人の人からもどこか特別に扱われてしまう。街に出れば最低でも高校生には間違えられてしあう。沙織ちゃんはそんな周りの目を理不尽と思いながらも、もうすぐ中学生になるんだからと自分を励まして、電車の乗り換えもなんとかこなして遊園地へと向かった。
待ち合わせの時間よりも十五分ほど早く駅に到着した。何度か来たことのある場所ではあるが、一人で来ると初めての場所のように感じてしまう。友達はまだ来ていないかと、一緒に駅から出ていく人たちにぶつからないよう気をつけながら辺りを見回す。
「沙織ちゃーん!」
ぴたっと歩みを止めて声のした方を振り返る。後ろで歩きスマホをしていた女性が沙織ちゃんの背中にぶつかった。沙織ちゃんは小さな声でごめんなさいと謝ってから、さっきよりも慎重に周囲に気を付けながら歩き出す。そこでは友達が大きく手を振っていた。隣には友達のお母さんもいて、沙織ちゃんを見上げて微笑んでいる。
「お待たせー!」腰を曲げて友達とハイタッチする。
「やっほー久しぶりー!沙織ちゃん、大きいからすぐわかったよー」
「降りる駅あってて良かったー。えーと、待ちましたか?」沙織ちゃんは隣のお母さんに尋ねる。
「ううん、全然。それにしても沙織ちゃん、また大きくなった?」
「はい、そうかもです」誰かと会うたびに聞かれることであり、沙織ちゃんは慣れっこだ。
「じゃ、遊園地いこー!」
友達と手をつなぎ、お母さんを先頭にして遊園地に向かう。なおお母さんの身長は一六〇センチメートルほどで、さらに五センチメートルのハイヒールを履いているので成人女性としては長身の部類となる。一四五センチメートルの小学六年生の娘よりも頭一つ大きい。しかし、そんなお母さんよりも沙織ちゃんの方がさらに頭一つ大きかった。
「沙織ちゃん、手もおっきーよねー」
「うん、大きいでしょー」
沙織ちゃんによって包み込まれていた手が解放され、パーにして重ねる。二十一センチメートルの手と十五センチメートルの手は、重なった状態でも第二関節を曲げて包み込めてしまえるほどである。大人と子どもというレベルでもなく、とにかく巨大さが目立つ。友達はきゃっきゃと喜び、それを見て沙織ちゃんも嬉しそうにした。傍から見たら親子のようなやり取りであるが、二人は同級生である。
チケット購入して、沙織ちゃん一行は遊園地に入る。なお沙織ちゃんは中学生料金を支払った。それでも受付の人には一瞬怪訝な顔をされたが、無事入園することができた。何度か来たことのある遊園地。幼稚園の頃に行事でこの友達と一緒に来たこともあった。あちこちを見回して、こんな遊具があったなと懐かしむと同時に胸が高鳴るのを感じた。
列車に乗ってゆっくりと景色を楽しんだり、チェーンタワーでくるくる回ったり、観覧車から遊園地を一望したり。沙織ちゃんは友達と、また友達のお母さんと一緒にアトラクションを楽しんだ。並んでいる時間もあったが、その時間もおしゃべりが楽しく、また待った分だけアトラクションを楽しむこともできた。
一通り楽しんだ最後、3人はジェットコースターに乗ることにした。定番で人気のアトラクションであり、行列も長かったが、少女たちにとってこれに乗らないと遊園地に来たという感じがしない、そんなアトラクションである。
最後尾と書かれたプレートを持ったお姉さんに案内されて列に並ぶ。列に並んでいる人の中で沙織ちゃんより大きい人はおらず、一番後ろでも、行列を見渡すことができた。友達とのおしゃべりのネタも尽きてきて、三人はゴーっと音を響かせてレールの上を走るコースターを見上げ、ゆっくりと動く行列に従って、自分たちの番が来るのを待った。
ジェットコースターには身長制限があり、一三〇センチメートル以上ないと乗ることができない。乗車口の前に簡単な身長計があり、そこで既定の身長でないと残念ながら乗車拒否されてしまう。列には小さい子も多く並んでおり、身長が足りないことを心配する声もちらほらと聞こえてきた。
「ねえねえ、幼稚園の時ここ来たの覚えてる?」友達に話しかけられて、沙織ちゃんは下を向く。
「うん。遠足で来たよねー」
「そうそう!それでさ、沙織ちゃんだけ先生とジェットコースター乗ったじゃん」
「あー……」
忘れていた記憶がよみがえった。幼稚園の行事で平日のお昼に遊園地に来た時、行列はなかったので組のみんなで乗車口まで来た。先生が身長制限と安全性について教わり、コースターの鑑賞だけして帰る予定だったが、沙織ちゃんだけ身長制限をクリアしていたので先生と一緒に乗ったのだった。
「いま思いだしたー。あったあった」
「私も三年生くらいで乗れるようになったけどね。でも、ジェットコースター貸し切りって、羨ましいなーって、いま思いだした」
他愛もない会話をしているうちに、乗車口が見えてきた。一定時間ごとに決まった人数が乗車して、コースターが発進する。
「あー、ちょっと足りないかなー。ごめんねー」
「いや!乗れるもん」
「ごめんねー。でも決まりだから、ダメなんだ。大きくなったら、また来てね」
男の子の大きな声がして、沙織ちゃんはそちらを向く。身長計の前で小さな男の子が胸を張って背を高く見せようとしている。しかし少年の背は、下限の一三〇センチメートルよりも五センチくらい低い。彼はしばらく駄々をこねてから係員のお姉さんに待機室に連れていかれる。
その途中、沙織ちゃんと一瞬目があった。沙織ちゃんはさっと目を逸らす。なんとなく申し訳ない気持ちになりながら、次のジェットコースターが来るまで待機しようと思ったのだが……
「お客様、ちょっとこちらへ宜しいでしょうか?」
急にお姉さんに声をかけられて、沙織ちゃんはぎょっとした。沙織ちゃんがびくりと体を震わせたことで、今度はお姉さんの方が驚いた。
「は、はい?」
「あの、身長を確認したいので、こちらへ」
さっきまで男の子が駄々こねていたところを、お姉さんは手のひらを上にして指し示す。沙織ちゃんは意味がよくわからなかったがお姉さんの言われるままにして、身長計の前に立った。列に並んでいる人がちらほら沙織ちゃんに注目して、恥ずかしくなった。
「はい、ありがとうございます。えーと……ちょっと、超えていますね。申し訳ありません、こちらでお待ちいただけますでしょうか?」
と言って、さっきの少年が足をぶらぶらさせて待機しているスペースを指す。沙織ちゃんは意味がわからず、友達とお母さんの方を見るが、二人もまた首をかしげていた。
「えと、すみません。どういうことですか?」
お姉さんは申し訳なさそうに眉を落として、説明する
「はい。本コースターは身長一三〇センチメートルから一九〇センチメートルの方のみご利用いただけるものとなっておりまして、お客様の場合、一九〇センチより少々高いようでして……」
「え……」
沙織ちゃんはくるりとその場で回り、身長計を目の前にして、頭に手を置いてスライドさせて自分でも確認する。お姉さんの言った通り、沙織ちゃんの手は一九〇のメモリよりも数センチ上に来ていた。
「あの、この前は一八七とかだったんですけど……」
「そう言われましても、規則ですので」お姉さんは困った顔で答える。「あちらでお待ちになっていただければと」お姉さんは再度待機スペースを指す。少年がこちらをきょとんとした表情でみつめてくる。
「あ、あのー」お母さんの方を向いて口を開く。「私、入口のところのベンチで待ってます」沙織ちゃんは周囲の視線を感じて恥ずかしさで顔を真っ赤にさせながらそう言って、返事を待つことなく足早に階段を降りていった。
ジェットコースター乗り場から離れて、沙織ちゃんは早歩きをやめて息を大きく吸う。降車口が見える適当なベンチに座って、二人が降りてくるのを待つ。汗が吹き出ているのに気が付いて、ポケットからハンカチを取り出して汗を拭った。ジェットコースターがカタンカタンとレールを上っていくのが聞こえる。沙織ちゃんはそれを聞いて、これからもうずっと乗ることができないと思うと途端に悲しくなった。幼稚園の頃、背が高かったために誰よりも早くジェットコースターに乗れるようになっていた沙織ちゃんは、今度は逆に高すぎるために乗れなくなってしまったのだ。
気を取り直すため、沙織ちゃんは別のことを考える。ジュースが飲みたいと思い、自動販売機を見つけてすっと立ち上がる。周りを歩いていたカップルが沙織ちゃんの高身長に驚く。普段はめったに外で飲み物を買うことはしないが、今だけは特別だと思った。機械の前に立って何を買おうか迷う。ふと、自分が自動販売機よりも背が高いということに気が付いた。わざわざ手をスライドさせて確認するなんてことはしないが、目測でそうだと思った。背伸びをしてみると、自販機を上に溜まったほこりが見えた。
腰を曲げてコインを入れて、ジュースを買ってベンチに戻る。ジュースを一口飲んで、はあとため息をついた。ゴーっとジェットコースターが滑走する音が聞こえた。さっきのお姉さんとのやり取りをもう一度思い出す。コースターに乗ろうとして身長を測ったら一九〇以上あった。一学期最初の測定では一八七センチだったはずだ。知らない内に五センチも伸びていたらしい。そういえば、今着ているワンピースも少し小さい。
「沙織ちゃーん!」
友達の声が聞こえる。沙織ちゃんははっとして、そちらを向いて手を降る。さっきまで考えていたことがすべて吹き飛んだ。沙織ちゃんは何事もなかったように立ち上がり、二人の元へと向かう。
「おかえりー!楽しかった?」
「うん。なんかごめんねー。身長低いと乗れないのは知ってたけど、高くてもダメなんだね。ちゃんと並ぶところに書いてあった」
「ううん、気にしないで。それよりさ、次はどこ行く?」
「えーと、えーと」
友達はガイドマップを開く。沙織ちゃんは屈んで、一緒に見る。
身長が高くて困ることも色々ある。例えばジェットコースターに乗れなかったり。けれど、高くないとできないこともある。自販機の上を覗くなんて、自分くらいしかできないんじゃないか。沙織ちゃんはそんなことを考えながら、マップを舐めるように見て次に行きたいアトラクションを決めるのだった。
創作メモ
短編集収録予定の書きおろし作品その1です。BibTeXという組版ソフトで縦書きで書く予定だったので漢数字になっています。1年ぶりに書きました。説明文のようになってしまいましたが、書けて良かったと思います。
久美さんの少女時代のつもりで書きました。というよりも、沙織ちゃんが成長したら、久美さんのようになるのかもしれないなと思いながら書いていました。