家族ごっこ

 電車の中で立ちながら本を読んでいた。ふとガラスに映った自分の姿を見て、僕は反射的に顔を赤くさせ、体温が上がり汗が噴き出るのを感じた。身長に合わない大きいパーカーを着て、小学生が使うようなカラフルなリュックサックを背負っていた。
 僕は身長が150cmしかなく、また顔立ちも幼い。そのためガラスに映った僕は完全に小中学生の風貌であった。そう言えば今日、大学で見知らぬ学生にクスクスと笑われた。その時はただ嫌な人だなと思っただけだったが、今の自分の格好を見れば笑われて当然という気になった。別に、わざとこういう格好をしているわけではない。まず、今朝は寝坊した、そして今朝は冷えていたので適当に上着を取り出したら、それが引っ越しの時に間違えて持ってきた兄のお古のパーカーだった。またいつも使っているショルダーバッグの底が破れたので、何か代わりはないかと探したら小学生の頃まで使って、今は雑貨入れとして再利用子ども向けのリュックサックしかなかった。こういった偶然が重なって、この現役小学生のような格好が出来上がったのだった。
 とは言っても、僕の予定はこれから帰宅するだけだ。ガラスに映った自分の姿があまりに若々しかったから驚いただけで、特にこれといった問題はない。僕は再び読書に戻った。一度自覚してしまうと周りのクスクスという笑い声が自分に向かっているように感じたが、僕はそれらを無視した。
 ――――ゴン。ドアの方から鈍い音がして、僕は顔を上げてそちらの方を見る。異様に背の高いセーラ服姿の女の子が、額をさすりながら腰を曲げて電車のドアをくぐって入ってきた。そしてニコニコしながら僕の方に近づいてきた。本能が危険だと囁き、僕は瞬時に身構えた。彼女を凝視する、彼女は相変わらずニコニコしながら僕の方に来て、そして屈んで僕に目線を合わせてた。
「ねえねえボク、この電車、XX駅って着くかな?」
 彼女が口にした駅名は僕の最寄り駅であり、僕は彼女をまっすぐ見つめたまま、こくんと頷いた。彼女の表情がぱあっと明るくなった。
「ああー、よかったあ。私ねえ、XX駅に引っ越したばかりで、本当にこっちでいいのか不安だったの。ボクは、どこまで行くの?」
 女の子はさらに背中を曲げて、僕と目線を近づけて尋ねた。彼女は服装からして中高生だが、僕のことを年下と思って接しているらしい。若く見られるのは別に珍しいことではないし、今日のような服装では、むしろ若く見られないほうが不思議なくらいだろう。しかしここまで直接的に子供扱いされるのは初めてで、今更それを訂正するのも野暮に感じた。
「・・・・・・XX駅」
「あ、そうなんだ! お姉ちゃんと一緒だねえー」
 女の子はニコニコしながら、僕の頭を撫でてきた。恥ずかしくなり、耳が赤くなった。すると女の子は「赤くなってる、かわいー」と言ってきて、さらに頭をわしゃわしゃと撫でてきた。どうしてさっき訂正しなかったのか、もう後には戻れない。僕は何か話をして、女の子を気を逸そうと思った。そうして咄嗟に思い浮かぶのは、彼女の身長くらいだ。
「・・・・・・お姉ちゃん、背高いね」
「あ、高いでしょー。昨日学校で測ったんだけどね、192.2cmだったんだよ! なんか成長痛がするから、まだ伸びると思うし」
 女の子はそう言ってから、「えへへ」と柔らかく笑った。周りの乗客の何人かは、そんな女の子の発言に目をパチクリさせてた。高校生と思われる女子2人組は、小さな声で「デカッ」と言うなり勝手な批判をしているようだった。その近くにいた男子2人組は「キモッ」と失礼なことをつぶやくなり、女の子は小さくてはならないという評論を始めた。女の子の表情が、少し硬くなった気がした。しかしすぐに、元の柔らかい笑顔に戻った。
 僕らは適当なおしゃべりをして過ごした。女の子は中学1年生で、つい1週間ほど前に中学校に入学したばかりらしい。こんなにも背の高い女の子が最近まで小学生であったという事実に、僕はあまりに年齢不相応な長身に驚くと同時に、年相応に幼い彼女の顔立ち及び言動に対して妙に納得した。さっき成長痛がすると言っていたのを思い出し、また納得し、彼女は今後どこまで伸びていくのかと少々好奇心が湧いてきた。
 最寄り駅に到着し、僕らは電車を降りる。女の子は背中を大きく曲げてドアをくぐった。電車を降りると彼女は僕の手を握ってきた。僕らを手をつないで歩きはじめた。女の子は手をぶら下げているが、僕はヘソの上まで手を上げる必要があった。そこが彼女の股の高さでもあり、僕は彼女の背の高さに再び驚いた。歩幅もかなりの差があるが、女の子は僕に合わせてゆっくりと歩いてくれた。僕らは途中まで一緒に歩いたが、何分か歩いた所で別れが来てしまった。僕は女の子と別れることが、なんとなく惜しくなっていた。
「ねえ、最後に、お名前教えてくれてもいいかな? 私はトモコっていうの。キミは?」
「・・・・・・ユウキ」
「ユウキくんか。じゃあまたね、いつかまた会おうね!」
 僕らは手を振って、別れた。途中何度も振り返っては、手を振って別れを惜しんだ。不思議な女の子だった、しかしどこか魅力のある女の子だった。住所とかメールアドレスとかくらい聞けば良かったと、僕は少しだけ後悔した。

 日々慌ただしい生活の中で、そんな不思議な女の子のことを僕は自然と忘れていった。たまに思い出すことはあったが、その数時間後には忘れるといった具合であった。
 あの日から1ヶ月ほど経ったある日、家庭教師の仕事で僕は自宅から徒歩10分の家を訪ねた。家庭教師をするのは初めてであり、僕は緊張してインターホンを鳴らす。背の高いお母さんが僕を出迎えてくれた。
「はじめまして、家庭教師の高野です」
「あ、よろしくお願いします」
 お母さんは上品に微笑み、僕を生徒の部屋まで案内してくれる。どんな子なんだろうか、大人しい子だといいな、物分かりの良い子だといいな、でもあまり賢すぎるのも怖いな。そんなことを考えながら、僕はお母さんに誘導され、子どもの部屋に向かう。そしてお母さんは、部屋のドアをコンコンと軽くノックする。
「ともこー、先生来たわよー」
「はーい!」
「じゃあ先生、よろしくお願いします」
 そう言ってお母さんは去っていった。僕は胸がもやりとするのを感じた。既視感のある声、そして名前。思い出そうとしたが、すぐには思い出せない。僕はドアノブを回し、ドアを開ける。その瞬間、胸のつっかえが取れると同時に、過去の失敗を思い出し冷や汗が流れ、膝が震えるのを感じた。
「よろしくおねがい・・・・・・あれ? えーと・・・・・・ユウキくん?」
「と、トモコ・・・・・・さん」
 僕らはしばらく見つめ合った。その間僕は、どうやって説明しようかと、必死に頭を巡らせた。トモコさんは、メトロノームのように首を左右にコックンコックンと振って僕の方を見ていた。
「あれ・・・・・・ユウキくん・・・・・・なんで? 先生は?」
「えーと・・・・・・」
 何かうまい言い訳はないかと必死に考えたが、そんなものあるはずがない。僕はしばらくしてから逃げ道の模索を諦め、全てを説明することにした。
「・・・・・・黙っていてごめんなさい。僕は本当は大学生なんです。以前のはトモコさんの勘違いで、訂正するのが面倒くさいから乗っていただけなんです・・・・・・ごめんなさい」
「え、あ、そうだったんですか! ごめんなさい、年上の人に・・・・・・」
「いえ、年下に見られるのは慣れてますから・・・・・・じゃあ、お勉強しましょうか」
「あ、はい! よろしくお願いします」
 誤解は思ったよりもずっと簡単に解けて、さっきまでの極度の緊張が馬鹿らしくなった。僕はトモコさんの隣に座り、それから僕らは教師と生徒の関係となり、授業を始めた。彼女は天然で素直で、始めのぎくしゃくとした空気は直ぐに和み、僕らは仲良くなった。
 2時間の授業はあっという間に過ぎて、僕は帰ろうと席を立つ。僕が立ち、トモコさんが座ることで目線が一緒になったかと思うと、トモコさんも立ち上がり、彼女の顔はずっと高くなっていった。
「先生って、いくつあるんですか?」
「ちょうど150cmです」
「小さいなあ」
 そう言いながら、トモコさんは僕の頭を撫でてきた。僕の目の前には彼女の鳩尾があり、トモコさんはまるで幼稚園児でも撫でるかのように、胸よりも低い僕の頭を撫でている。2回目だからだろうか、僕は不思議と恥ずかしさといったものを感じることはなく、むしろ安心感を抱いた。その安心感に乗せられてしばらく撫でられてからはっと我に返り、僕はトモコさんの手を丁寧に振りほどいて、部屋を後にする。
 トモコさんは玄関まで見送りに来てくれ、僕は彼女に手を振って、帰路につく。1人になった途端、どっと疲れが出てくると同時にさっきまでの、バイトといえども教育者としては不適切な生徒とのやりとりを冷静に思い返して、嫌な汗が吹き出てくるのを感じた。親に言いつけられて、問題になったらどうしようか。僕はそんなことを考えながら、自分の家までの10分あまりを過ごした。

 週に2回の授業で、僕はトモコさんに数学と英語を教える。バイト初日の不安は全て杞憂に終わり、むしろトモコさんは僕の授業を気に入ってくれたらしく、親を通じて褒められることもあった。トモコさんは真面目で、毎週宿題をやってきて復習もしっかりするので、順調にカリキュラムを進めることができた。また家が近いのでお母さんと道端やスーパーで出会うことも少なくない。その度に、お母さんは僕を家庭教師として褒めてくれる。
 しかしどうしてか、外でトモコさんを見たことはない。単に時間が合わないだけだと思ったが、彼女がこの町に来て3ヶ月になるにも関わらず、これまで一度も見かけたことがないというのは不自然だ。同じ中学校の生徒は近所でよく見かけるが、制服姿のトモコさんの見たのは、初めて僕らが出会ったあの日きりである。そういえば授業中、トモコさんは勉強の話はよくするが、彼女の口から学校の話を聞いたことは一度もない。勉強してばかりでは煮詰まるのでたまに雑談をするのだが、トモコさんは聞いてはくれるが向こうから話を広げてくることはほとんどない。
 僕は、トモコさんは不登校なのではないだろうかと思い始めた。そして一度そう思うと、あらゆるものがそれを裏付けているように見えた。いつ見ても新品な制服、教科書、カバンが、それを証明しているように思えた。デリケートな問題なので、僕の方から触れるのは遠慮したが、こんなにも素直で可愛らしい彼女が不登校であると思うと、どうしても放っておくことができなくなった。僕は授業中、さり気なくそれについて尋ねた。
「ねえ、トモコさん」
「ん? なあに」
「学校では、今どこやっているの?」
 彼女の表情が、一瞬硬くなった。僕は内心どきりとした。そして目を泳がせながら、部屋を見渡した。
「あー、えーとね・・・・・・ちょっと待ってね」
 そう言って彼女は、学校カバンやら本棚やらを探し、やがてピカピカの教科書を持ってきて、僕の前で開いた。丁寧な先生なのか、最初のページには色ペンでケバケバしく装飾がされている。しかしすぐに、教科書は真っ白になった。トモコさんはバサバサとページをめくった。彼女は見るからに動揺していた、そしてとうとう彼女はページをめくるのをやめた。
「・・・・・・ごめん、わからない・・・・・・学校行ってないから・・・・・・」
「そう・・・・・・何かあったの?」
「・・・・・・」
 彼女は俯き、髪で表情を隠し、そして肩を震わせてゆっくりと心の内を語り始めた。小学校の時の友達が、中学生になった途端に変わってしまったこと。上級生に侮辱されたこと。教師からも侮辱されたこと。そんな日が続き、ある日パタリと、学校に行けなくなってしまったこと。
 そんなことを語っている内に、トモコさんは段々と感情的になり、顔を赤くして僕に学校の愚痴を吐き始める。
「ボールが倉庫の上に乗って困っていたから親切に取ってあげたのに、その人たちは私を指さして『さすが巨人』とか言って、クスクスってバカにしてしてくるの! 酷くない?」
「親切にしたのに、酷い人だねー」
「そうそう、他にもさー」
 僕はトモコさんの愚痴に付き合い、それに一々相槌を打った。そしてしばらくして、胸の内にあった不満を全て出し終えたのか、トモコさんは次第に口数が少なくなっていき、やがて沈黙が漂う。僕は、トモコさんの手を握った。
「辛かったね、お疲れ様」
「・・・・・・ありがとう」
 時計は、授業終了5分前を指していた。テキストはほとんど進まなかったが、たまにはこういう日があっても良いと思う。僕は残りの5分間、トモコさんを励ました。時間が来るなり僕はゆっくりと、彼女から手を離した。
「・・・・・・じゃ、僕は時間だから帰ります」
「・・・・・・うん」
 僕とトモコさんは同時に立ち上がった。僕がドアの方に向かうと、トモコさんは後ろから優しく抱きついてきた。抱きつくというよりは、包み込むという方が近いかもしれないが、トモコさんと僕と肩幅はあまり変わらないように思える。トモコさんは僕のヘソの辺りで手を組み、僕をホールドした。
「ありがとう、先生優しいね」
「頑張って、また学校に行ける?」
「うーん・・・・・・もう1ヶ月くらい行ってないし、もうすぐ夏休みだし・・・・・・」
「・・・・・・まあ気長に、頑張ってみて。応援してるから」
「うん、ありがとう・・・・・・」
 トモコさんはゆっくりと手を解き、僕は解放される。それから僕らはゆっくりと玄関に向かい、いつも通り手を振って僕らは別れた。

 トモコさんと外で出会うということはついになく、中学校は夏休みに入った。授業の時に聞いてみたものの、やはり学校には行けなかったらしい。行ったほうが良いことは十分にわかっているものの、体が言うことを聞かないのだと彼女は言っていた。授業中はあんなに天真爛漫な彼女が、典型的なひきこもりの状態にあるということを、僕はあまり信じることができない。僕が抱いているトモコさんのイメージは、天然で飄々としていて、悪口を言われても水に流してしまうような、そんな感じだ。しかし本当の彼女は人一倍繊細であり、無神経な人による無意識な悪意に敏感に反応し、精神を病んでしまうようなのだ。
 そんな彼女の自立の手助けをしたいと、夏休みに入って直ぐ、僕はトモコさんに小旅行に行こうと提案した。広い世界を見ることで頭をフレッシュにし、トモコさんの被害妄想を軽減しできるのではないだろうかと期待した。僕らの仲はそれくらいにまで進んでいたし、ご両親もそれをある程度は認めてくれていた。しかし旅行の話を出した途端に、トモコさんは顔を強張らせ、それを拒否した。
「い、いや! 先生と一緒でも、お外は・・・・・・」
 トモコさんの即答に、僕は少しショックを受けた。そして即座に代案を考えた。
「じゃあ、近所を一緒に散歩するとか、どうかな? 家の中にずっといると頭が凝り固まっちゃうから、そういうのもいいと思うの。夜の人が少ない時に、少しだけ」
 トモコさんはしばらく悩み、それなら、と返事をしてくれた。僕は授業の後に一旦家に帰り準備をして、夜8時にトモコさんを再び訪ねた。トモコさんは玄関で待っていてくれた。ご両親は、心配そうにしていた。
「では、責任もって娘さんと一緒します」
「よろしくお願いします、智子、何かあったらすぐに電話しろよ」
 お父さんがそう言うと、トモコさんはニコリと微笑み、「うん」と頷いた。しかしその表情は硬かった。うまく行くのだろうかと、僕は早速不安になった。
「じゃあ、行こうか」
 不安を手で払い、僕はトモコさんの手を取ってドアを開ける。ご両親と別れ、僕らは散歩を始める。トモコさんは自宅の様子とは打って変わり、きつい猫背で僕の斜め後ろを歩いていた。道行く人々はあまりに背の高いトモコさんに驚愕し、目を見開いた。その度にトモコさんの僕の手を握る力が強くなるのを感じた。
「うー・・・・・・恥ずかしいよ」
「大丈夫、もっと堂々としてみて、猫背もやめて」
 トモコさんは一瞬、背筋を伸ばしたが、通行人を見るなりまた猫背に戻り、僕の後ろに隠れてしまう。トモコさんの方がずっと背が高いので隠れられるわけないのだが、彼女はそうした。
「うー、やっぱり恥ずかしい・・・・・・」
 トモコさんは、僕の肩を大きな手で掴んでくる。掴みはとても優しく、僕の体を配慮してくれているのか、負荷をほとんど感じない。そんな優しさを目前にして、僕はふと、トモコさんと出会った時のことを思い出した。ニコニコと優しい笑顔で屈みながら、背の低い僕に目線を合わせて話しかけてくれた彼女。きっと、子どもが好きなんだろう。
 ・・・・・・僕はふっと、ある案を思いついた。少々僕のプライドを痛めることになるが、トモコさんが元気になるのなら、安い代償だ。
「・・・・・・そうだ! 最初に出会った時みたいにさ、僕を弟みたいに思うのはどうかな? トモコさんがお姉さんになって、僕を引っ張るの」
「えっ」
 僕は首を上に思いきり曲げて、後ろのトモコさんを見上げる。トモコさんはあっけに取られた様子で、僕を見下ろしていた。同時に、僕の手が震えてくるのを感じた。なに、馬鹿なことをを提案しているのだろうか。しかし、思いつく限りではこれが1番効果がありそうに思えた。これがダメなら、今日の試みは全敗だ。
 トモコさんは、そしてしばらく黙った後、小さな声で言った。
「・・・・・・ユウキくん」
「トモコお姉ちゃん!」
 僕は子供らしく歯をむき出しにして子どもらしく笑った。顔が引きつるのを感じたが、我慢した。その途端、トモコさんは背筋をすっと伸ばして、僕の後ろから出てきて、屈んで僕の手を取り、軽く握った。
「えーと・・・・・・ユウキくん、どこに行こうか?」
「えーと、こ、コンビニで、アイス食べたい」
「じゃあ、そうしよっか!」
 トモコさんは僕にニコリとほほ笑み、僕の手を引っ張ってコンビニに向かう。僕に歩幅を合わせて、ゆっくりとそこに向かってくれる。効果があったようで、僕はとりあえず安堵した。
 僕らが最初に出会ったあの車内でトモコさんは、周りの小声での罵倒に顔を強張らせながらも、彼女は笑顔で僕に話しかけてくれた。子ども相手なら頑張れるのだろう。僕は必死に演技して、姉弟ごっこをすることにした。
 コンビニに着き、トモコさんは低いドアをくぐって店内に入る。その瞬間、店員や客の視線が刺さる。トモコさんの手がプルプルと震え、キツイ猫背になって店内を移動する。真っ直ぐアイス売り場に向かい、僕らは適当にアイスを選び、レジへと向かう。トモコさんが急いで店を出ようとしているのがわかった。店はまだ早かったかと、僕は後悔した。これを期に、さらに引きこもりが進行してしまったらどうしようと心配になった。
 レジに商品を持って行った。トモコさんはお金を持っていなかったので僕が払う。レジのおばさんはトモコさんに向かって、ニコリと微笑んだ。
「お利口な弟さんね」
 急なことに僕は一瞬うろたえたが、はにかんで子供らしく照れた。トモコさんは猫背のまま、おばさんに向かってひょこひょことお辞儀をしている。背中におばさんの定型句を聞きながら、僕らはトモコさんを先頭にして出口へと向かう。トモコさんはふらふらと歩いていた。僕がそれを少し心配していたら、案の定彼女はゴンと入り口に盛大に額をぶつけた。ガアンと、金属が振動した。僕は小走りで、彼女の隣に立った。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん! 大丈夫だよー」
 トモコさんは額をさすりながら、顔を紅潮させて笑っていた。その笑顔は歳相応でとても自然なものであり、授業の時はよく見るものであったが、外に出てからは初めて見るものだった。僕は一瞬戸惑った。
「・・・・・・なんか、楽しいことでもありました?」
「ん? えへへへ・・・・・・」
 顔に手を当ててしばらく微笑んでから、トモコさんは僕の後ろに立って、ゆっくり歩きながら僕の頭を優しく撫でた。
「えへへ、ユウキくん、ユウキくん・・・・・・」
 彼女はそう呟きながら、僕の頭を撫で続けた。何度か通行人が側を通り、目を丸くして僕らを見るが、トモコさんの視界には入っていないようだった。小声で囁かれる侮辱の言葉も、彼女の耳には届いていないらしい。トモコさんは、ただニコニコして僕を撫でている。僕は完全に身を彼女に委ねた。袋の中のアイスが溶けてしまうのではと心配になったが、楽しそうな彼女の邪魔をする気には到底なれなかった。
 それからトモコさんは僕の手を引いて、ゆっくりと歩き出す。どこに行くつもりなのかはわからない、僕らは無言で歩き続ける。アイスを食べることを提案しようと思ったが、背筋をピンと伸ばして夜道を悠々と楽しげに歩く彼女に水を差すようで、気が引けてしまった。
 しばらくトモコさんについて歩いていたら、小さな公園に到着した。そしてそこのベンチに僕らは腰掛けた。僕にはちょうど良いベンチも、トモコさんは幼稚園児用の椅子のように、脚を思い切り曲げて座る。そこでやっと、彼女はアイスのことを思い出したようだった。
「あ、アイス忘れてた。食べよっか!」
「うん!」
 僕は無邪気に笑い、袋からアイスを取り出してトモコさんに渡す。少し溶けていたが、そこまで問題はない。並んでアイスを食べていると、トモコさんはまた、僕の頭を撫でてきた。
「えへへ、アイス食べてるユウキくん、かわいい、かわいい」
 僕は撫でられながら、アイスをちびちび食べた。その間もトモコさんはずっと、僕の頭を撫で続けていた。
 ふと、トモコさんは手を休める。彼女の顔を見ると、どこか申し訳無さそうな表情でこちら見ていた。
「・・・・・・先生、ごめんね、なんか。あと、アイスありがとう」
「いえ、トモコさんがしたいようにしてください」
 僕がそう言うとトモコさんはまた、同じようにしてきた。
「・・・・・・私、一人っ子が嫌で、ずっと弟が欲しかったんです」
「そうなんですね。好きにしてください、今の僕は、トモコさんの弟です」
 僕らは『姉弟』として、ベンチで一緒に過ごす。アイスはすぐに食べ終わり、やがてトモコさんの方も僕を撫でるのに飽きてきた様子だ。柱時計は21時を指しており、散歩からちょうど1時間が経っていた。
「・・・・・・そろそろ帰る?」
「うーん。うん、帰ろっか」
 僕らは一緒にベンチを立ち上がる。
「いたたたっ!」
「大丈夫?」
 トモコさんは浮かせた腰を再びベンチに乗せて、膝をさすり始めた。演技どころではない、普段歩かない子を無理に1時間歩かせたせいではないかと思い、自分を責めた。
「大丈夫? どうしたの」
「あー、大丈夫。ただの成長痛なの」
 トモコさんはしばらく膝をさすった後、ゆっくりと背筋を伸ばした。そういえば初めて出会った時も、成長痛とか言っていた。
 すっと立ち上がったトモコさんを僕は見上げる。スラリとした体が月明かりに照らされて、とても美しく見えた。
「じゃあ、行こっか!」
「うん!」
 僕らは夜道を歩き、トモコさんの家に向かう。1時間前のおどおどした感じはまるでなくなり、背筋を伸ばして悠々と道を歩いていた。人が側を通っても、まるで視界に入っていないかのように振舞っている。企てが上手くいって良かったと、僕は思った。
 トモコさんをご両親に引き渡し、トラブル等が何もなかったことを伝える。出て行く時とは打って変わって、頬を赤らめて楽しげに笑う彼女を見て両親は喜んでいた。トモコさんよりも額の分だけ低い、190cmくらいのお父さんがトモコさんを抱きしめ、背中を撫でていたのが印象的だった。

 夜の散歩以来、トモコさんとは授業外でも度々一緒に過ごすようになった。一緒に散歩をしたり、買い物をしたりするようになった。突然1人で僕の家にやってきた時はさすがに驚いたが、特に変わりなく、お茶を出しておしゃべりをするだけだった。根が礼儀正しく大人しい子なので、僕の家で騒ぐようなことは心配するまでもなかった。最近は僕の家に来ては、教科書を一緒に進めている。2学期はちゃんと学校に通うつもりらしく、そのための準備だと言っている。本当に、真面目で利口な子だと僕は思った。
「――――じゃあ、今日はここまで。続きはまた今度ね」
「うん、先生ありがとー」
 トモコさんは教科書と筆箱をを手提げのカバンの中にしまう。そして立ち上がったと思うと再び座り込み、膝をさすり始めた。いつもの『成長痛』だ。
「いたた」
「成長痛? 大丈夫?」
「うん。ちょっとさすったら良くなると思う」
 トモコさんは、膝のマッサージを始めた。夏休みに入ったくらいからだろうか、最近はこういうことが増えてきたように思う。身長も確実に以前よりも伸びている気がする。もう少しで、座った状態でも僕を抜かしてしまいそうだ。
「うん、もう大丈夫だと思う」
 そう言って、トモコさんはよいしょと立ち上がった。僕は彼女を見上げた。トモコさんは僕を見下ろしながら首をかしげた。
「なんか先生、小さくなった?」
 そう言って、僕の頭を撫でる。確かにトモコさんから見たらそう見えるのかもしれないが、それは別に僕の背が縮んだわけではないだろう。トモコさんは僕の頭を撫でながら玄関に向かう。リビングと廊下を結ぶドアを通った時、ゴンと鈍い音がした。こういう音は、最近はよく聞くようになった。
「いったー、またやっちゃった」
「大丈夫? 背が高いと大変だね」
「うん・・・・・・でもなんでぶつけちゃうんだろう。前はぶつけなかったのに」
 トモコさんはドア枠を指でさすりながらしばらく考える。僕はトモコさんをじっと見つめる。やがて彼女はハッとして、そして僕を見下ろして、顔をほころばせた。
「あ、私の背が伸びたんだ」
「そう、僕が縮んだんじゃないよ」
「えへへ、先生がもっとちっちゃく見えるよー」
 そう言ってトモコさんはまた僕の頭を撫でる。頭を撫でられるのは今更恥ずかしくはないが、何度もされると官能的というか、母性を見出すような、そんな気分になってしまい、倫理的に良くない。僕はさりげなく、トモコさんの手を払った。その時触れたトモコさんの手がまた大きく、僕はそれから目をそらした。
「――あっ! お母さんにお買い物頼まれてたんだった。ねえ先生、一緒に行かない?」
「・・・・・・うん、いいよ」
 僕は彼女の顔を見ずに応えた。
「じゃあ、一緒に行こう。ユウくん!」
「うん!」
 僕はトモコさんを見て、無邪気に笑った。彼女はいつも通りの優しい笑顔で僕を見ていた。
 僕らは姉弟のふりをして、スーパーに向かう。トモコさんがスーパーに入った時の人々の反応はいつでも同じだ。背中や膝を思いきり曲げてガラスのドアをくぐると、大半の人はこちらを見てくる、そして驚く。声を出す人も入れば、黙ってじっと凝視する人もいる。トモコさんはそんな人々の好奇の視線を始めは嫌がっていたが、今ではもう慣れてしまったようだ。むしろ、そんな反応を楽しんでいるようにすら見えた。
 トモコさんはカゴを両手に持って、スーパーを歩きまわる。前にカートを勧めたことがあるが、トモコさんくらいの長身にとっては、小さくて使いにくいらしい。僕はトモコさんの指示を受けて、品物を探し、カゴに入れる。僕の手が届かない高いところはトモコさんが取るのだが、最上段の棚でもトモコさんの目線より低い。端から見ればまさしく姉弟なのだろうと思うし、実際、買い物中のおばさんがよく僕らを仲良し姉弟と褒めてくれる。その度に、トモコさんはとても嬉しそうな顔をする。
 買い物を終え、トモコさんが両手に袋を持って、僕らは家に帰る。以前のように猫背ではなく、背筋をすっと伸ばして、悠々と歩いている。その後ろ姿はトップモデルのように整っていて、美しい。時間的にスーパーは多少混んでおり、通りすがる人々は誰もがトモコさんに驚くが、中には羨望の眼差しを向けている人もいた。
 ・・・・・・コンプレックスはもう完全に克服したのだろうかと、そんなトモコさんを見ていて僕は急に気になった。振る舞いがそうであっても、本心がそうとは限らないのだから。しかし特に会話もせずに、僕らはトモコさんの家に到着した。そして玄関で僕らは別れる。
「ユウくんありがとう、またねー」
「うん、またねーお姉ちゃん」
 まだ、僕らは姉弟のままらしい。家庭教師の立場で少し聞きたいことがあったが、遠慮すべきだろうか。しかし、どうも気になってしまった・・・・・・気がつけば、ドアの後ろに消えようとするトモコさんの後ろ姿に声をかけていた。
「と、トモコさん!」
「ハイ?」
 裏返った声で、キョトンとしながら彼女は返事をした。僕は、彼女に尋ねる。
「・・・・・・身長のことはもう、気にしていませんか?」
 尋ねてすぐ、トモコさんは満面の笑みでもって、応えた。
「うん、気にしてないよ! じゃあねー」
 トモコさんはニコニコしながら、家の中へと消えていった。

 トモコさんは夏休みにグングンと背を伸ばしていった。最初に出会った時、トモコさんは電車の入り口にドアをぶつけていた。電車のドアは185cmらしく、当時のトモコさんは190cmを超えていた。夏休みの始めには、家のドアに頭をぶつけていた。ドアは200cmらしく、トモコさんはそれくらいにまで成長していた。
 そして夏休み最終日、トモコさんは僕の家でおしゃべりをしており、僕はそれを相槌を打ちながら聞いている。
「それでね、さっきスーパーでクラスの女の子と会ったんだけど、すっごく小さくなってたの!」
「女の子が小さくなったんじゃなくて、トモコさんの背が伸びたんでしょ」
「そうだけどさ、『え、この子こんなに小さかったんだ』ってびっくりしちゃった。すっごく可愛くなってた!」
 トモコさんは嬉しそうに、スーパーで見かけたクラスメートのことを語っている。明日から、トモコさんの学校が始まる。2ヶ月以上休んでからの登校だ、本当に行けるのかと僕は不安だったが、この調子なら大丈夫かもしれないと、僕は安心した。
 楽しい時間はあっという間に過ぎて、外は知らないうちに赤くなり、夕焼けチャイムが鳴り響き、楽しそうに話していたトモコさんはハッとした。
「あ、もうこんな時間。先生もう帰るね、ありがとう!」
「うん。明日から学校だね、頑張って!」
「うん、頑張る! じゃあねー」
 僕が先に椅子から立ち上がり、その後トモコさんが同じようにする。座った彼女と立った僕では彼女の方が10cmほど高く、僕の目の前には彼女の顎があったが、それが立ち上がったことで更に高くなった。僕の頭は彼女のヒジと同じくらいの高さにあり、ちょっとした拍子にぶつかってしまいそうだ。
 トモコさんは玄関へと向かった。ドアの枠は彼女の口元くらいだろうか。もう、歩いていてぶつける心配はなさそうだ。そして大きく屈んでドアをくぐり、玄関へと向かい靴を履き、またドアをくぐって外に出た。夕焼けが彼女のスラリと伸びた背を映えさせて、とても美しかった。
「じゃ、先生。今日はありがとう!」
「うん、気を付けてね」
 そう言ったにも関わらず、トモコさんは僕の方に手を振りながら道を歩き、通行人とぶつかり、謝っていた。ぶつかった人は意地悪そうな年配の女性で、悪態をついてトモコさんの長身をデカブツと侮辱したが、トモコさんは特に気にしていない様子だった。あくまで僕の予想だが、小さい人が睨みつけるのを、子どもの拗ねたふるまいのように彼女は思っているのかもしれない。ともかく、トモコさんが明るくなったことが、僕は心の底から嬉しかった。
 翌日の朝7時半、僕は朝食を作り終え、食べようとする時。大学の夏休みは中学校よりも長く、始まるのはまだ先だが、実家の用事で今日は色々と忙しい1日になる予定だ。そんな時、インターホンが鳴り響いた。こんな時間に誰かと魚眼レンズを覗くと、トモコさんが腰を直角に曲げて、こちらを見ていた。
「あの、こんな時間にごめんなさい。でも、ちょっと先生に制服を見てもらいたくて・・・・・・」
 僕はドアを開けて、トモコさんを見上げた。背が高いからか中学生ということを時に忘れそうになるが、新品のセーラ服を着た彼女は、歳相応で可愛いらしい。トモコさんは体をねじりながら、僕に制服全体を見せる。
「ねえ、どう? 変じゃないかな? 昨日できたばかりなの」
 僕はしばらくトモコさんに見とれていた。数秒後にはっとし、咄嗟に出てきたのは『かわいい』という呟きだった。
「うん、かわいい」
「え・・・・・・かわいい?」
 トモコさんはぽっと、顔を赤らめ、僕の顔を見た。初めて見るトモコさんの表情に、僕の胸にトクンと暖かいものが落ちるのを感じたが、僕はすぐにそれを振り払った。次の瞬間にはいつもの無邪気な笑顔を浮かべたトモコさんが、僕の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「先生の方がかわいいよー!」
 いつもならトモコさんの気が済むまで僕は身を任せるものだが、今は朝であり、トモコさんの登校日である。クラスメートにこんな格好を見られては色々と問題が生じてくるだろうと思い、僕はトモコさんを制止した。
「こらこら、これから学校でしょ。こういうのは帰ってきてからにしましょう」
「うん! じゃあ、行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい。学校がんばってね」
 トモコさんは僕の方に手を振った。昨日のようによそ見をしながら歩くようなことはせず、手を振った後は悠々と、楽しげに学校に向かった。僕はそんな彼女の後ろ姿を目を細めて見送った。その直後、胸に少々の痛みを感じたが、僕はそれを振り払いすっと家の中に戻った。
 実家の仕事を色々とやっていたら、気がつけば夕方の16時。そろそろ中学校が終わる頃かと思って一息入れていたら、インターホンが鳴り響いた。下校時刻にインターホンが鳴るということは、とりあえずは無事に学校生活を終えたということだろうと察し、僕はひと安心する。魚眼レンズを覗くと、セーラ服のお腹の辺りと思われる白い生地が広がっていた。トモコさんに違いない。ドアを開けて顔を確認すると、予想通りそこにはトモコさんがいて、僕を見下ろしていた。彼女はニコニコと微笑みながら、僕を見下ろしていた。
「おかえり、学校は楽しかった?」
「うん、すっごく楽しかった! 始業式の時背の順で並んだけど、一番大きい先輩でもこれくらいしかなくて、みんなかわいくなってたの!」
 トモコさんは手を水平にして、鎖骨の辺りに持ってくる。僕から見れば、それでもかなり高い。きっと185cmくらいはあると思う。しかしそんな大男も、トモコさんから見れば肩よりも小さな男の子になってしまうのだ。
 それからトモコさんは学校での色々なエピソードを語ってくれた。嫌なことも多少はあったようだが、久々の学校生活は楽しかったようだ。僕はそれを聞いて、純粋に嬉しく思った。同時に、少し寂しい気持ちにもなったが、僕はそれを邪念として振り払った。

 トモコさんは元気に学校に通い始めた。相変わらず悪口は言われるようだ。一時期不登校だったこともあってか、それとも夏休み中の急成長のせいか、以前よりも言われる回数は増えたようだ。しかしトモコさんはそんな悪口を愛情で包み込むことで解決できるようになったという。
「よく知らない人の悪口を言う人はね、寂しいからそうするんだってわかったの。悪口をきっかけにして、友達とおしゃべりしたいだけなの。だから私はね、そういう人をぎゅっと抱きしめてあげればいいんだって、思ったの。そうしたら、あまり言われなくなったの!」
 僕は、身長220cmのトモコさんに、すれ違いざまに急に抱きしめられる様子を想像する。軽く見て、本人の前で堂々と悪口を言っていた相手から急にそんなことをされればかなりの恐怖を感じるのではないだろうか。もちろんそんなことをしても悪口が陰口に変わるだけかもしれないが・・・・・・。
 それはともかく、2学期に入ってから仲の良い友達が何人かできたようだ。それを聞いて僕は安心した。
 それからは、トモコさんとの関係は本来の、教師と生徒の関係に戻った。週に2回、僕はトモコさんに2時間数学と英語を教える。稀にスーパーで見かけることもあったが、その時も会釈して少し話をする程度にとどまった。学校帰りに友達と仲良くおしゃべりをしながら歩いているトモコさんを見かけた時、僕は邪魔しないようにとそっと身を隠した。トモコさんとの姉弟ごっこは、その役目を終えて自然消滅した。
 夏休み後も、トモコさんは順調に背を伸ばしていった。授業を終えると、トモコさんはいつも玄関まで僕を見送ってくれる。トモコさんの頭と天井の隙間が日に日に狭くなり、ドア上部との差が開いていくのを見て、僕はそう判断した。そのまま、特にこれといった出来事もなく、1年が過ぎた。最初は、グングンと背を伸ばして更に目立っていくトモコさんの心労がたたってどこかでパタンと倒れてしまわないかと心配だったが、人が変わったように陽気になったトモコさんを見ている内に、そんな不安は霧散していった。
 夏休み前最後の授業後、僕はトモコさんの家で夕食をごちそうになった。夏休み中は実家で作業をすることになっており、トモコさんとは1ヶ月以上お別れだ。
 一度は夜に散歩などをしていた関係だが、ご飯をごちそうになるのは初めてのことだ。人様の家でお刺身など、豪華な食事をするというのは始めは少し緊張したが、すぐに慣れた。
「先生は、大学卒業後はどちらへ?」
「実家に帰って農家を継ぎことになっています」
「あー、そうなんですか。じゃああと何年かしたら、故郷に帰ってしまうと」
「はい、そうです。あと1年半ですね。大学を卒業したら、故郷に帰って農家になります」
「そうなんですかー・・・・・・知子、聞いたか? 先生お前が卒業する頃に帰っちゃうってさ」
 お父さんに言われて、僕はそのことに気がついた。トモコさんは現在中学2年生。トモコさんの卒業と同時に、僕はこの街を去るのだ。彼女の高校入学後を見送ることができないのは少々残念だが、仕方がない。僕はただの、バイトの家庭教師なのだから。
 トモコさんは首をかしげながら応える。
「ん? 先生、いなくなっちゃうの?」
「うん、田舎の実家に帰らなくちゃいけないから。でも、トモコさんの高校受験までここにいますよ」
「・・・・・・そっか! あー、私ももうちょっとで受験かー。どこに行こうかなー」
「トモコさんは賢いから、たいていのところ大丈夫だと思います。パンフレットとか見て、自分に合いそうなところを目指してください」
「うん、ありがとう!」
 トモコさんはニコリと微笑み、ご飯を頬張った。230cmあるというトモコさんは、椅子に座っていても立った僕より10cm低いくらいなので、食卓が低そうだ。あとどれくらい成長するのかと、僕はなんとなく気になった。
 食事会を終え、僕はトモコさんの家を後にする。そして荷物をまとめて、翌朝この街を去った。街を離れていくにつれてなんとなく寂しい気持ちになったが、音楽を聞いて気を紛らわせた。

 夏休み中、僕はずっと実家で農業に勤しんでいた。その間家庭教師のバイトを休み、1ヶ月以上トモコさんと会うことはなかった。大学を卒業した後、僕は故郷に帰り、家業である農家を継ぐことになっている。大学も、半分はそのための準備として通っている。ともかく、後1年半で僕はこの街を去る。トモコさんの高校入学後を見送ることができないのは少々残念だが、一度ひきこもりから立ち直った彼女なら、これからもうまく立ち回っていくだろうと僕は信じている。
 夏休みの間はひたすらに働いていた。昼は畑の手入れをし、夜は経営を学び、後継ぎとしての勉強で40日が終わった。夏休みが終わって街に帰ってからも、帰省時の感覚は中々抜けない。
 夏休み後、初めての授業だ。僕は少し緊張して、トモコさんの部屋に入った。1カ月ぶりの授業であり、トモコさんと会うのも1ヶ月ぶりだ。髪が金色になったり、すごく太ってしまったり、していないだろうかと不安になった。もっともそうなったところで僕に彼女を強制する理由はない。ただ、たった1ヶ月であっても変わるには十分な時間であるのだと思った、ただそれだけだ。僕がこの夏そうであったように――
 コンコン、僕は以前のようにドアをノックして、部屋に入る。僕の知っているトモコさんがそこで正座していた。正座していると、僕の顎の下に彼女が入ってしまいそうなくらい小さい。もっともこれは、トモコさんの背がとても高いから正座していてもこうなるわけだが、僕はこの身長差を新鮮に感じた。そして僕の方を振り向くなり、以前のように、ニコリと微笑んだ。
「先生、お久しぶりです」
「久しぶり、じゃあ授業しようか」
「はい」
 僕はトモコさんの隣で椅子に座る。椅子に座った僕と正座したトモコさんはほぼ同じ高さだった。横を見ればトモコさんと目が合うので、少し恥ずかしい。以前は確か、椅子に座った僕とトモコさんでは、トモコさんの顎の下に入れそうなくらいの差があったのだった。
 授業はいつも通り終わり、僕は椅子から立ち上がる。トモコさんは僕を見上げて、微笑んだ。僕はしばらく、その場で立ち尽くし、彼女をじっと見ていた。トモコさんも、僕の顔をじっと見ていた。
「・・・・・・先生、どうかした?」
 そう言われて、僕ははっとした。もう授業は終わったのに、なぜ部屋を出て行かないのか。
「え? あ、いや。なんでもないです」
 何をしたかったのかと不思議に思いながら、僕はトモコさんの部屋を出る。妙な違和感を覚えながら、僕は1人で玄関を出ていき、自分の家へと向かった。途中1度だけ振り返ったが、当然そこには何もなかった――――

 1ヶ月の間に、トモコさんに何があったのだろうか。体はいくらか大きくなった気がするが、それは成長期の彼女の些細な変化だろう。・・・・・・どこで、僕はトモコさんに嫌われてしまったのだろうか。会わない間に、トモコさんは僕の何か嫌な面を知ってしまったのだろうか。それとも単純に、年頃の少女は扱いが難しいというものなのだろうか。
 それからトモコさんとの授業は、淡々とした事務的なものになってしまった。今までは雑談を含みながらほのぼのとやっていたが、今は一方的に教えて問題を解かせるだけになってしまった。トモコさんは賢い子なので以前は質問もよく受けていたのだが、それすら少なくなってしまった。僕との会話を、できる限り避けているように思えて少し悲しくなった。スーパーで出会うことも、全くなくなったし、それも嫌いな僕との接触を避けるためという気さえした。しかしその一方で、本当に僕が嫌いなのなら家庭教師をクビにするなり、別の教師を依頼するなりすれば良いと思い、謎が深まった。
 最初の授業の終了後に覚えた違和感の正体も分かった。以前のトモコさんは、授業が終わると毎回僕を玄関まで見送ってくれたが、2学期からはそういうことはなくなったのだ。別に、これは義務ではない。しかしいつもやってくれることをある日突然やられなくなるというのは、想像以上に調子が狂うことであるし、また寂しいものである。しかし、もしかしたらこちらの方が良いのかもしれない。僕はもう少しで消える人間だ。変に癒着して別れが惜しくなるよりも、1年間という準備期間を経て、じっくりと縁を切っていくほうが、お互いのためになるのかもしれない。僕はそう思い、トモコさんの異変に首を突っ込むのはやめた。学校は毎日通っているようだし、そちらの問題はないのだろう。しかし・・・・・・人情として、どこか寂しいのである。
 ある日の大学からの帰り、僕は道でトモコさんを見かけた。家に向かって歩いていたら、曲がり角でトモコさんがにょっと横から出てきた。多分100m前からでもわかる、そのスラリと伸びた長身。僕は、彼女に話しかけようか迷った。別に用はない、しかし、なんとなく話がしたい。
 僕とトモコさんでは歩幅がかなり違うので、普通に歩いていれば僕らの間の距離はどんどん広がってしまう。僕は小走りになって、トモコさんの後をついた。前を向いて小走りをしていると、また、妙な違和感を覚える。その正体は、トモコさんの後ろを歩いていたら自然に分かった・・・・・・こんなに、背が高かっただろうか? 僕の頭に彼女のスカートの上端が来るほどだっただろうか?
「あ、先生?」
 そんなことを考えていたら、トモコさんは急に止まり、上から彼女の声が降ってくる。トモコさんは怪訝な表情で僕を見下ろしている。僕はハッと我に返った。
「ああ、トモコさん、こんにちは。見かけたので、つい・・・・・・」
 僕は愛想笑いをしながら、そう答える。考えてみれば、これは立派なストーカーだ。相手が女子中学生ということを考えれば、状況はかなりまずい。しかも僕は、理由が何であれトモコさんに嫌われて可能性ある人間だ。トモコさんに不快感を与えていないだろうか、それが気になった。
 それからトモコさんはゆっくりと、僕の歩幅に合わせて歩いてくれた。話はせず、ただ並んで歩いた。僕の家に到着するなり、僕らは会釈をして別れる。遠目に見たトモコさんの後ろ姿は、緩やかな猫背になっていた。

 ピンポーン――――
 夜8時、自宅でゴロゴロとくつろいでいたら、インターホンが鳴った。こんな時間に誰が来たのだろうか。僕は重い腰を上げて玄関まで行き魚眼レンズを覗きこむ・・・・・・トモコさんが、そこにいた――
「ちょ、ちょっと待っていてください」
 僕は部屋着から外着に着替えて、再度玄関に向かう。まさかトモコさんが家に来るとは、予想だにしていなかった。
 僕は玄関のドアを開ける。トモコさんが、しゃがんでこちらを見ていた。
「こ、こんばんは・・・・・・」
 僕がそう言うと、トモコさんはこくりと頷いた。そしてしばらく気まずい沈黙が流れた後、トモコさんが、口を開く。
「・・・・・・先生、お話しよう」
「あ、はい。家に入りますか?」
「うん」
 トモコさんはしゃがんだまま玄関まで進み、そのまま器用に靴を脱ぎ、中腰になる。僕はリビングまで案内して、以前に彼女が来た時と同様に、2人分のお茶を用意する。
 僕は椅子に座って、それを飲んだ。トモコさんは椅子には座らず、床に正座していた。しばらくは気まずい沈黙が流れた後、トモコさんが口を開いた。
「先生・・・・・・私、大きくなっちゃた・・・・・・」
 彼女の口から発せられた言葉はあまりに自明なものであり、僕は戸惑った。確かに夏休みの間に背が伸びたようだが、元々大きいのだから、そこまで気にならないというのが僕の率直な感想であった。
「えっと、前からそうでは?」
「それはそうだけどさ・・・・・・」
 トモコさんはそう言ってから、ゆっくりと立ち上がる。僕も一緒に立ち上がった。立った僕から見て顎くらいの位置にあったトモコさんの顔が徐々に上がっていき、天井に付きそうというところでトモコさんは背中を曲げ、最終的にお辞儀するような格好になる。背が伸びたのは知っていたが、家の中で立たれるとかなりの迫力である。僕は恐怖で、後ずさりをしそうになった。
「天井よりも大きくなっちゃったの・・・・・・学校の保健室で、背中を壁に付けてメジャーで測ったら、260cmあったの・・・・・・こんな巨人、先生でも引くよね」
 そう言って、トモコさんはまた正座をする。大丈夫だと言いたかったが、すぐには声が出なかった。トモコさんは正座した状態で僕の顔をじっと見た後、俯いてため息をついた。僕は咄嗟に声をかける。
「う、ううん、大丈夫。大きくても、トモコさんはトモコさんだから」
 我ながら、取ってつけたような励ましだ。トモコさんは無言でニコリと笑ってくれた。
「ありがと、先生。でも、これからどうしよう。高校まで電車に乗るのは大変だし、かといって就職は難しそうだし。そもそも、就職先でもこの巨体が邪魔になりそうだし。スポーツ選手とか、私そんなに運動できないし・・・・・・」 
 トモコさんは坦々と、将来への不安諸々を話し始める。僕はそれを、じっと聞いていた。少し考えれば分かることだが、あまりに高すぎる身長というのは害にしかならない。周りのものが170cmの人に合わせて作られているのだから、それを260cmのトモコさんが使えばどうなるのか。単純計算で、僕にとっては100cmの子どもの世界で窮屈に暮らしているようなものなのだ。
 何かうまい励ましができないかと模索したが、僕の想像力では、そんなものはそう簡単には見つからない。それでも僕は必至に、トモコさんのためになることを考える。そんなことをしていたら、トモコさんは再度僕を見上げて、ニコリと、柔らかく微笑んだ。そんな彼女の微笑みを見て、僕はなんとなく、懐かしい気持ちになった。
「ねえ先生、前みたいに、お散歩しない?」
「え・・・・・・」
 咄嗟のことに面を食らったが、僕は笑顔を作って返した。
「はい、行きましょう!」

 僕等は靴を履き、外に出る。トモコさんは僕の手を握った後、しゃがんだ状態からゆっくりと立ち上がる。トモコさんの手はとても大きく、僕の手を包んでしまうほどだ。トモコさんが立ち上がるにつれて手首はどんどん上昇していき、最終的に僕の手は自分の顔の高さまで上がった。しかしトモコさんの方を見ると、少し屈んでいて、辛そうだ。
「・・・・・・背筋伸ばしたほうが、いいですよ」
「でも先生、大変じゃない?」
「僕はそうでもないです。むしろトモコさんの方が辛そうに見えます」
 そう言うと、トモコさんは背筋をすっと伸ばす。手の高さがさらに10cmほど上がった。
 そして僕らは以前のように、近所を散歩する。僕とトモコさんとでは歩幅がかなり違うが、トモコさんは僕のためにゆっくりと歩いてくれた。僕はまた懐かしい気持ちになった。
「先生。私、大きいでしょ」
「・・・・・・はい、大きいです」
「ふふ。もうちょっとで先生、跨げちゃうね」
 僕の目線の位置にはトモコさんの股がある。あと10cmくらい脚が長くなれば、僕の背と、トモコさんの脚が同じ長さになる。そう考えると、いかにトモコさんが大きいかがわかる。そして、そんな彼女が普段をいかに窮屈に過ごしているかが――
「やっぱり、背が高いのは嫌ですか?」
「いや、あまり嫌じゃないけど、さすがに260cmは大きすぎるかな、って・・・・・・あー、将来どうしよう。そういえば先生って、農家だっけ?」
「はい、大学も農業系です」
 僕はその時、トモコさんへの良い励ましを思いついた。
「そうだ! トモコさん、1次産業はどうでしょう。トモコさん、体力ありそうですし」
「1次産業って、農家とか、漁師とか? うーん、力はあると思うけど・・・・・・」
 そう言ってトモコさんは、僕の脇の下に手を入れて、ひょいと持ち上げる。想定内内のことだったが、一気に目線が高くなり、足元はぶらつき、少し怖い。
「えへへ、先生軽いねー」
「力持ちですね、羨ましいです」
 体験してみてわかったが、260cmの景色というものは中々面白い。横を見れば、今まで見上げていた木々の葉っぱが目の前で生い茂っている。前を見れば、普段であれば窓から見えるような景色が目の前に広がる。下を見れば地面までが遠く、足が中に浮いて多少の不安を覚える。トモコさんはこの高さで、地面に足をつけているのだと思うと、少し不思議な気持ちになった。
「先生どう、高いでしょー」
「うん、高いです」
 僕はトモコさんに抱かれたまま散歩を続けた。進路をトモコさんにまかせて僕らはふらつき、気がつけば、以前も来た小さな公園に到着していた。
「あ、公園だー。なつかしー」
「丁度、1年ぶりくらいですね」
「前はここでアイス食べたよねー」
 トモコさんは僕を地面に降ろして、ベンチに腰掛けた。公園のベンチはトモコさんにはあまりに小さいようで、まるで体育座りでもするように膝を曲げて座ったあと、長い脚を伸ばした。
「・・・・・・ねえ先生、農家ってどんな感じなの? ちょっと興味ある」
「農家ですか。家は主に果樹栽培をやっていまして――」
 僕らはそのまま、公園で雑談して過ごした。農家の話に留まらず、色々な事を話した。ここ最近のすれ違いを解消するかのごとく話し続け、気がつけば22時を回っていた――――

***

 色々あった1年だった。跡継ぎとしての勉強もあったし、卒業研究もあったし、トモコさんの件も・・・・・・とにかく、様々なことに揉まれた1年だった。しかし過ぎてしまえばあっという間であり、また思い出深い1年だった。
 3月、僕はスーツを着て中学校の卒業式に参列する。マイクが流れ、卒業生が入場する。まだかまだかと入り口を見る。僕は背が低いので、周りの人の頭で入り口そのものは見えない。しかし、『彼女』は見える。
 辺りがざわつくと同時に、トモコさんがにょっと現れた。周りの生徒は皆、彼女のおヘソよりも低く、上半身がまるまる飛び出てしまっている。トモコさんは僕に気がつくなり、小さく笑ってくれた。
 卒業式の並びは基本的に名前順のようだが、トモコさんだけは違く、最下段の端っこに立っている。しかしそれでも、一番上の生徒と同じくらいの背丈だ。もっとも、頭の大きさはトモコさんの方がずっと大きい。トモコさんは全体で見れば小顔であるが、背が非常に高い分、絶対値は当然大きくなる。
 2時間程度の卒業式は終わり、新入生が退場する。来た時と同じように、トモコさんはゆっくりと入り口へと歩き、ドアの前でしゃがんで、ドアをくぐり抜ける。最後の生徒が出ると僕ら参列者は拍手をやめて、校庭へと向かう。そこで、子どもたちと出会うのだ。僕は周囲の親たちに揉まれながら、校庭へと向かい、生徒たちが出てくるのを待った。上半身が抜き出た彼女が、ニコニコしながらこちらへと向かってきた。
「優希さん、おまたせー」
「お疲れ様です。先に戻っているから、ゆっくりしていてください」
「うん、じゃあまたねー」
 トモコさんに手を振られて、僕は家に帰る。後ろでは彼氏、婚約、弟など、僕について様々な憶測が飛び交っているが、気にしてはいけない。女子中学生と大学生の男の関わりというのはどんな事情にしろ色眼鏡で見られてしまうものである。それを理解していながらもこういう結末を選んでしまったのだから、他人の言葉に耳を貸してはいけない。
 家に帰り、スーツから着替え、忘れ物がないか最終確認をする。部屋にはすでに、備え付きのもの以外は何もない。僕が荷物を持ってここから出て行き、大家さんに鍵を返せば、この部屋はその瞬間から空き家となる。4年間住んだ街、部屋。色々と思うものはあるが、それよりも明日からの生活の方が不安で、感傷的に回想する心の余裕もない。
 ・・・・・・ああ、どうしてこうなってしまったのだろうか。これが最良の選択だったのだろうか。もっと良い選択はなかったのだろうか。他人の人生の一場面を背負うことがこんなにも辛いことだなんて、半年前の僕には想像もできなかったことだろう。しかし、こうなった以上は気を引き締めていくのみだ。
 コンコン。ドアがノックされた。電気はもう通っていないので、インターホンは鳴らない。僕は荷物を持って玄関に向かう。ドアの向こうには、予想通り、トモコさんがしゃがんで僕を待っていた。しゃがんでいても、僕よりも20cmくらい背が高い。
「優希さん、行きましょう!」
「はい」
 僕は無理やり笑顔を作った。トモコさんの後ろにはご両親もいて、こちらを見てニコニコしている・・・・・・明らかに必要以上の何かを期待しているかのような笑顔である。
「先生、智子をよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、人手不足の最中で来ていただけて嬉しいです」
 両親と別れを済ませ、僕らは駐車場に向かう。トモコさんでも乗れるような、大型のボックスカーを借りた。後ろの席を畳んで小さな広場にし、そこにトモコさんを座らせる。それでも窮屈そうだが、これ以上は仕方がない。
「3時間くらいかかると思いますけど、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫!」
 トモコさんは歯を出してニコッと笑った。僕はドアを閉めて、運転席に着き、車を発進させる。ミラーに映ったトモコさんは、楽しげに窓の外を眺めている。そんな彼女を見ている内に、不安は薄れ、段々と自分まで楽しくなってきた。
 見慣れた景色はやがて知らない街になり、緑も豊かになってくる。ふとミラーを見れば、智子さんが可愛い寝顔を浮かべてスヤスヤと眠っているではないか。僕はそんな彼女を見て目を細めた。僕の実家まで、あとどれくらいだろうか。こんな平和な時間がいつまで続くだろうか。叶うことなら、このままずっと続けば良い。僕はそんなことを願いながら車を走らせた。
 バックミラーには気持ちよさそうに眠る智子さんが映っていた。そんな彼女が一瞬、こちらを見てふふっと小さく微笑んだ気がした。僕はそれを見て、自分の表情が緩むのを感じた。
-FIN

創作メモ

お題箱を消化していたらいつの間にか、女子中学生と大学生の微妙な関係という、少々反社会的な内容になってしまいました.私にはフェチ小説を書く際、少女には成長して欲しく、なおかつ女の子らしく扱われてほしいという欲があります.それを実現しようすると、ヒロインは中高生、男は大学生くらいという設定が1番書きやすいのです.オチには困りますが・・・・・・